付録ゲームは「タイフーン作戦」。記事もゲーム合わせ。
さて、独ソ戦の前半を扱ったゲームで必ず問題になるのが、「モスクワ」の扱い方。モスクワが陥落したらソ連は降伏するのかどうか、というのは、歴史上のIF研究としても重要だし、ゲームをデザインする場合にも大きな問題になる。付録ゲームでは、モスクワが1ヘクスでも独軍に支配されたらサドンデスということになっている。但し、記事によれば「ソ連軍が全力で守ればモスクワは絶対に守りきれるが、周辺都市はがら空きになる」というバランスだそうだ。
この、モスクワ問題については、高梨氏の記事(「パリ・モスクワ ゲームはいつ終わるか?」)が腑に落ちた。この記事では、「ゲームは終わるが歴史は終わらない。そこが大きな違いだ」と説く。だから、モスクワが陥落したらソ連が降伏するかどうかという話と、モスクワが陥落したらゲームが終わるかどうかという話は別に考えることができる。モスクワが陥落したらそこで大きな変化が起こったことは確かなのだから、そこから先はそのゲームが扱う範囲ではない、よってゲームはそこで終わり、というわけだ。
ゲームの開始時期と終了時期はゲームマップの範囲や登場する舞台などと同じくゲームの世界を決定する基本的な要素である。サドンデスルールは単に勝利条件であるだけでなくゲームの世界の範囲を変更するという働きをもっているのである。(p.19)
大久保城治氏の記事では、「らしさ」の話を扱っている。まだ、アイディア提供の段階だが、歴史上での敗者の側の行動やロジックの合理性と関係があるのではないかと述べている。できれば、もうちょっと色々なゲームを題材にして話して欲しい話題。