k-takahashi's blog

個人雑記用

雪の下の炎

雪の下の炎

雪の下の炎

28歳のチベット僧はある日、身に覚えのない容疑で中国政府に逮捕、投獄される。それは、強制労働や飢餓そして残忍な拷問など、いつ終わるとも知れぬ、想像を絶するおぞましい日々の始まりであった……。
30年以上もの長きにわたる苛酷な獄中生活にもかかわらず、強靭な精神力により決して屈することなく生き延びた著者の、苦難と忍耐の物語。

幼少期、叔母の家に預けられた話、仲の良い従姉妹の死、出家。パルデン氏が僧院に入ったのは1943年。日本は戦争の真っ最中だったが、チベットの地方にはそういったことはあまり影響はなかった。この時点では、氏はチベットの外のことを殆ど知らなかったのだ。


 そして、1950年、中国によるチベット侵略の本格化。1959年に逮捕。その後、30年以上にわたる苦難の日々が淡々とした一人称で語られる。


 もちろん、獄中生活の中で得た情報が正確であるとは考えられず、数え切れないほど過酷な拷問を受けたことも思えば記憶違いも相当あるだろう。 しかし、話を100分の1に割り引いたところで酷い話であることに変わりはない。
そして、本書が出版されてから10年以上たつにもかかわらず、チベットへの弾圧は続いており、抵抗も続いている。一時的な失政や不運の連続による悲劇はどこの国にも、どこの時代にもあることで、それをもって国家や民族を批判するのはやりすぎというものだが、それが半世紀以上続いているとなれば、やはり国家そのものに問題があると考えるべきだろう。


 なにより問題なのは、パルデン氏の訴えの検証すらできていないこと。本書にも何度か、外国からの視察者が来るごとに必死に取り繕う中国政府側の様子が描写されている。おそらく、現在でもそれが繰り返されているのだろう、という疑念は消えない。


 以前、私は、ダライラマを中心とした高度な自治を認めたところで中国がそれほど困るとは思っていなかった。資源だのなんだのというのもあるが、基本的にはメンツの問題であって、別に中国が滅びなくてもチベットの解放は可能だろうと。だが、本書の記述を信じるのであれば、中国共産党自身が中国共産党の方法論によって自らを縛り付けてしまっている。むしろ、独裁国家の方が、独裁者の死や独裁者の気まぐれで方針転換ができるだけましなのかもしれない(本書の中にも毛沢東の死による方針転換を期待する場面がある。)という程度に酷いものだ。


 という、中国によるチベット弾圧への告発、というのがもちろん本書のポイントなのだが、それとは別に、延々と続く弾圧と無数のぬか喜びとに晒されながら30年以上もかすかな希望の火をともし続けた一人の僧侶の半生記と見ることもできる。
 何というか、宗教には人にとてつもない強さを与えることがあるんだな、と。