k-takahashi's blog

個人雑記用

ウェブで学ぶ 〜「インターネットはそもそもグローバルなもの」ではないかもしれない。

ウェブで学ぶ ――オープンエデュケーションと知の革命 (ちくま新書)

ウェブで学ぶ ――オープンエデュケーションと知の革命 (ちくま新書)

 梅田望夫氏の新刊。ウェブでの教育を実例に、ウェブと社会の関わりや生き方について語った一冊。


 中国をはじめとした「特定集団がウェブを支配しようとする動き」を念頭にこんな記述がある。

知と情報のゲームの牽引力となっている信念が、欧米の「表現の自由」「学問の自由」「教育を受ける権利」といった人権思想や民主主義思想、特にアメリカ建国以来の思想を強く踏まえてのものだからです。普遍を身にまとってはいても、この信念は欧米近代以来のイデオロギーそのものといえます。ですから、「知と情報のゲーム」については、「アメリカで起きることは、時間遅れで他の国々でも起こるだろう」という仮説から離れなければならないと、いまは考えるようになりました。(p.33)

つまり、むしろグローバルであろうとする動きの方が特殊なのではないか、という観点からウェブをとらえ直そうというのが本書の一つの目的ということだそうだ。


 とは言うものの、やはりウェブの一部にはグローバルたらんとする確固たる動きがある。それがアメリカ的というのはある意味当然ではないかともとらえているようだ。

 所詮アメリカは、多人種・多民族・多言語・多文化が共存している人工的・実験的な国なので、僕は、テクノロジーの進歩によって世界の人々がよりつながり、相互理解や友好関係を深めようとすればするほど、世界全体が「アメリカ的」になっていくのは、ある意味で不可避的な流れだと考えています。(p.105)

ウェブ論とアメリカ論が隣接しがちな背景は、確かにこういうものなのかもしれない。


 さて、本書はウェブ教育がテーマになっているが、グローバル化たらんとする動きの一つとしてMITの授業公開をあげる。そしてその背景にあったこんなエピソードを紹介する。

 MITに先見の明があったのは、他の大学が皆「オンライン教育は、やれば儲かるだろうと見切り発車していった中で、この委員会やビジネスコンサルタントが幾つものビジネスモデルを検討した結果、「どうも現時点で、収益がうまく上がるビジネスモデルは無さそうだ」という結論に達した、という点です。実際、当時先行スタートしていた他の大学は、結局うまく収益が上げられず、その後次々とオンライン教育ビジネスから撤退していきました。
 ところが、いかにも奇想天外で独創的な校風で知られるMITらしいのは、「オンライン教育は、ビジネスとしてお金が儲かりそうにない」という見通しが付いた時点で「じゃあ、この話はもう止めておこう」とはならなかったことです。
 この時点までに委員会内で、「どのように講義教材をオンラインに載せていくか」や「そのための支援体制やプロセスはどうするか」といったこともずいぶんと議論され、報告書としてまとめられていたことなども手伝って「せっかくここまでいろいろと考えたのだから、どうせビジネスとして儲からないのであれば、いっそのこと社会貢献としてMITの全ての講義の教材をウェブ上に無料で公開してしまったらどうか」という驚くべき提案がまとまってしまった。(p.90)

で、これで動きだし、それがアメリカの寄付文化や労働流動性ベンチャー気風と結びついて、現在様々なウェブ教育が広がってきている。その様々な動きも本書は紹介してくれている。


 こういったウェブ教育のコンテンツや方法論が溢れる中で、個々人はどうやってこれらとつきあえばいいのかというのも本書の一つのテーマである。
ひたすら能動的な人達はそのままそれに乗ればいい。だが、それほどでもない人はどうすればいいのか、というのは未解決の問題で、どうやって教育をうまく受けるかという話が、どうやってウェブを活用するべきかという話とリンクしていることも本書を読むと分かる。


 ウェブ教育という日本ではあまり知られていない大きな動きの紹介であると同時に、それを題材にした「我々は、どうやってウェブとつきあっていけばよいのか」という問題の語り直しでもある一冊。「ウェブ時代をゆく」で梅田氏が語っていたウェブとのつきあい方の問題が、「この教育の機会をどう活かすか?」という具体的な課題となって我々に突きつけられている現実は、なかなか重い。
 外注先の手抜き作業が原因で発生した開発遅延の取り繕いなんていう後ろ向きの仕事のために休日出勤した日の昼休みの読書にしては、ある意味シュールな課題ではあるが、考えないといけないんだよな、確かに。