k-takahashi's blog

個人雑記用

SFマガジン 2010年11月号

S-Fマガジン 2010年 11月号 [雑誌]

S-Fマガジン 2010年 11月号 [雑誌]

 ハヤカワ文庫SF創刊40周年記念特集の後半。今回は、ベア、ブリン、カード、バクスターの4人の短編と全リストの後半が掲載されている。4つの短編が、こう微妙にひねくれているものばかりというのが、らしいというかなんというか。設定は壮大だが、アレアレというオチになる「ジャッジメント・エンジン」と「ジョージと彗星」、思わず登場人物達に突っ込みを入れたくなる「温かい宇宙」「手を叩いて歌え」。


 コラムでは永瀬唯氏のブレイン操作のところで興味深い指摘があったので、引用。脳に電極を刺して刺激を与える治療が強く批判されて後退した一方で、という流れ。

80年代には、ギブスン作品のシムスティムをフィクションの極として、一方の現実解でも脳電極手術はまた注目されるようになった。しかし、かつてのような反対運動や反感、拒否反応は少なかった。おそらくそれは、障碍者による機器の制御や視覚など感覚器官の補完を目的とした能動的で人間側が主体的なものだったからだろう。
 障碍に対する補弼。自然身体機能の強化、オーグメント。
一方、定位脳手術やEMSは、治療と名打ちながら、実際には外部からの操作であった。
「侵襲」である。
補弼+強化。
そここそが鍵なのであろう。
だが、サイバーパンクの時代とEMS侵襲の時代の結節点はどこにあったのだろうか? ここで、一般にはフェミニズムSFとして扱われているマージ・ピアシーの「時を飛翔する女」が鍵になるかもしれない。
EMSを埋め込まれた女性の悲劇と田園的な未来ユートピアの対比を描くこの作品において、田園の住民は都市機械文明からの侵攻に対し、自らをサイボーグ化することをいとわないのだ。(p.85)