k-takahashi's blog

個人雑記用

幻の終戦工作 〜日米戦終戦交渉をめぐる歴史上のIF

幻の終戦工作 ピース・フィーラーズ 1945夏 (文春新書)

幻の終戦工作 ピース・フィーラーズ 1945夏 (文春新書)

残念なことに日本のケースは、われわれにとって時間切れになった。われわれの方に和平への確実な道があり、彼らが交渉しているアメリカ人がワシントンの最高権力者と直接の連絡を持っている、ということに東京の政府が確信をいだく前に、モスクワが仲介者として現れ、日本政府はソ連を通じて和平を求めることに決した。(pp.18-19)

長らく日本の終戦過程、とくにその決断の遅さが無用の犠牲と損害をもたらしたことに関心を持って、さまざまな書物を読んできたが、このたびヤコブソンの手記を得、このような形でこれに関連する一書をまとめることが出来たのは本望であった。(あとがき、より)

ドイツ降伏後の日本の終戦交渉についてよく知られているのは、「ポツダム宣言を『黙殺』したが、これが『ignore』と翻訳されてしまった」ことと、「極東侵攻の意図満々のソ連の真意を見誤り、ソ連に仲介を期待したこと」とされているが、では、他には何もしていなかったのかというとそんなことはなかった。なかったが、それはうまくいかなかった。いわゆる藤村工作が終戦後から知られていたが、本書にあるようにそれは早々にストップしてしまった。一方、ペル・ヤコブソンを通じてのルートはぎりぎりまで交渉が続いていた。そのルートでどのような交渉がなされ、どのような問題が起こったのかを追ったドキュメント。期間としては、1945年7月4日から終戦までになる。

読者は、8月6日の広島、8月8日のソ連参戦、8月9日の長崎、というデッドラインを知っており、さらにこの工作が失敗したことを知っている。それでも緊迫したやりとりは興味深く読める。それに、「なぜうまいかなかった」のかも重要な疑問であるし。
もちろん、日本政府が「ソ連に頼る」という致命的失策を犯したのが最大の要因だが、それを覆す可能性はなかったのだろうか。少なくとも、原爆とシベリア抑留は防げる可能性は?


主な登場人物は、日本側が、スイス公使:加瀬俊一、公使館付武官:岡本清福中将、国際決済銀行理事:北村孝治郎、国際決済銀行為替部長:吉村侃。
交渉窓口となったのが、国際決済銀行経済顧問:ペル・ヤコブソン。彼を通じてOSSのアレン・ダレスに繋がっている。


本書を読むと、スイスで交渉にあたっていた両者の理解はほぼ一致しており、それが最も望ましいという結論も同じだった(軍隊の無条件降伏、憲法と皇室の保持)。しかし、両者共に都合があり、「はい、そういうことです」と表だって言うことは出来なかった。

J「米側が”無条件降伏”の要求を変えることはまったくありえないと思う。南北戦争このかた100年もこの原則に固執しているのだから。日本も米国も、歴史上一度も戦争に破れた経験のない国だ。これが極めて危険な心理を生む」(p.89)

と言う指摘は、両国が「無条件降伏」という言葉を余りにも硬直的に捉えていることを批判している。が、その現実を急に変えることはできない。ではどうするか、という苦労が書かれている。


明言することの出来ない状態でどのように両国政府が納得できるよう交渉をまとめるのか。この交渉自体が謀略ではないのかという疑惑をどうやって払拭するか、交渉は相手が弱っている証拠だという強行派をどうやって説得するか、戦争が続き日米の損害が増えることを利益と捉えている関係者の横やりをどうやって防ぐか。
シグナルを一つ出すだけでも、反対派対策を考えなくてはいけない。例えば、事前に一部の捕虜を釈放するという情報を出しておいて、指定された日時にそれを実行すれば、交渉の有効性を示すシグナルとなる。しかし、その程度のことでも実施は困難だった。
そうなると公式ステートメントの文言が重要になる。ある言葉を入れる/入れないについて綱引きが行われる。そうして苦労して言葉を調整しても、

明示したくはない。しかし、天皇保全して利用はしたい。彼らのニュアンスは、しかし日本側にそのようには受け取られなかった。(p.150)

ということが起こってしまう。
ポツダム宣言が公開されたことについても、

「岡本に、東京ではこの宣言は米国が弱みを見せたと思っているんじゃないですか? と聞いたら、そんなことはあるまい、といっていた」
朝刊紙には、オーストラリア筋がこの宣言は弱腰すぎると見ているという記事が載っている。彼らの見解に同情はするが、それこそが日本が受諾すべき理由ではないか、きっと最上の条件が得られるというのに!
「軍部は米英の本土侵攻を撃退できると思っているんじゃないか。だが、米英は上陸を急ぐことはない。空爆で全てが粉々になってしまってからでもおそくはないんだ」
と吉村は言う。どうしたらこのことを日本に悟らせることができるか?(p.226)

となってしまう。


当事者達は必死に頭を絞っており、その様子は克明に記載されている。しかし、なかなか日本政府は決断をしてくれない。克明に書かれているが故に、そのもどかしさがよく伝わってくる。後ろのタイムリミットを知っている読者としてはなおさらである。


結局、このヤコブソンルートの工作は実を結ばなかった。日本政府がこの交渉を軽視していたと思われる状況証拠がいくつかある。最終的にOSSのダレスに通じる交渉は、もう一つ「藤村ルート」と呼ばれるものが、ヤコブソンルートに先だつ形で行われていたのだが、

もう貴官は米側とは接触するな、というのである。戦後になって、海軍高官の何人かは「藤村工作は惜しかった」と回顧してはいるが、この時点では陸軍側の謀略→拒否説に押し切られた結果、この指令は発せられたようだ。のちの東郷〜加瀬往復電に見るように、外務省側には、藤村のこの独断専行は不快としか映らなかった。(p.174)

という顛末を迎え、事実上6月上旬で停止してしまう。
ところが、日本側、それもこともあろうに東郷外相が、ヤコブソンルートとこの藤村ルートをしばしば混同していたのだ。おそらくは、ソ連筋に頼るという方針と陸軍対応とで手一杯だったからだろう。


以前、開戦前の日本政府内の議論を描いた『昭和16年夏の敗戦』を読んだが、あのときも検討結果を政策決定にうまく反映させることができなかったことが書かれていた。そして、終戦工作も同様だったようだ。
本書のエピローグでは、1958年2月にペル・ヤコブソンIMF専務理事が来日した際、天皇陛下と会見したことが書かれている。そして、著者は、ヤコブソンの和平工作が陛下の耳に届いていた可能性は低いと結論している。


ちなみに、私が本書を読もうと思ったきっかけは、終戦記念日とは関係なく、

 そんなとき、竹内修司さんという方がお書きになった『幻の終戦工作 ―ピース・フィーラーズ 1945夏―』という、ノンフィクションと出会いました。初出が2005年ですから、構想を練っていた頃に、ちょうどタイミングよく発刊された本です。
 これは、第二次世界大戦中に、日本になるべくダメージを負わせないで終戦を迎えさせようとした――そのために、大変な熱意を持って奔走した人たちの記録です。
 自分は日本人ですから、本を読む前から、この工作が実を結ばず、日本が惨憺たる状況で敗戦することを知っているわけです。いわば、結末のわかっている物語を読むようなものなのです。それなのに――というか、だからこそなのか、可能性に懸けて冷静に工作を進めていく人々の熱意や国同士の駆け引きに、とても心を揺さぶられました。

著者インタビュー:上田早夕里先生

という、『華竜の宮*1』についての上田早夕里先生のインタビュー記事です。
cf. http://d.hatena.ne.jp/k-takahashi/20110521/1306035821

*1:

華竜の宮 (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)

華竜の宮 (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)