k-takahashi's blog

個人雑記用

オシラクオプション

 先日NHK−BSの「BSドキュメンタリー」で放映されていた番組を録画しておいたものを鑑賞。前後編。
攻撃に参加したF−16の機載カメラの映像が、エースコンバットそっくりだった。(いや、逆ですけど)

 作戦自体は1981年6月7日に実行されたもので、イラクが建設中だった原爆製造用原子炉を、イスラエルの空軍が爆撃、破壊した。確か、イスラエル側の命名では「バビロン作戦」とかなっていたはず。


 前半は経緯の解説。そもそもは、1975年フランスがイラクに核技術を売ったのが発端。平和目的だとか、フランスが管理するとか言っていたが実際には油目当ての武器輸出で、要するに、今の中国が世界でやっていること。
 あきれたことに、イスラエルに原子炉を売ったのもフランスだったりする。おそらくは、イスラエルもこの原子炉を核兵器開発用に流用したはずで、そのイスラエルが「あれは核兵器用だ」と判断したとなると容疑はほぼまっ黒。もちろん、最初からフランスが馬鹿なことをしなければ良かったのだし、そもそもちゃんと反省してくれていれば今だってとも思うが。

 始まってしまったオシラク開発に対して、イスラエルは外交交渉もしたし、かなりダークな工作もした。環境保護団体を名乗った爆破テロも、科学者暗殺もモサドの仕業らしい。しかし、外交の成果はなく、モサドの工作もこれ以上は無理との判断に至る。では、軍事オプションかということになるが、当時のイスラエルにはオシラク原子炉を攻撃する手段は無かった。


 話が変わったのが1979年のイラン革命。これによりイラン向け輸出用だったF-16イスラエルに回ってきたので、攻撃オプションが現実のものになった。さらにアメリカによるテヘラン人質救出作戦(イーグルクロー)の失敗が特殊部隊潜入作戦の限界を示すこととなり、軍事オプションをとるなら空爆ということになった。
 一方、イランイラク戦争の一環としてイランによるオシラク攻撃が行われたが失敗。これによりオシラク付近の防衛力が強化されてしまった。


 最終決断に至るまでは反対論も根強く、国際世論、周辺諸国の反発を警戒する声も強かった。これは、今でも、北朝鮮の核開発放置を見れば分かるところ。


 後半は作戦の実行とその後の影響。
 イスラエル側の分析で原子炉稼働直前となったところで作戦実行。イスラエル空軍の作戦計画を見ると、サウジやイランの防空網に加えて、アメリカの早期警戒機にも注意を払っていることが分かる。
 離陸後から爆撃までの様子はまさにエースコンバットの特殊ミッションそのもの。高度30メートルで約1100キロを飛行し、目標直前で高度2000メートルに上昇。目標確認ののち、急降下爆撃実施。
 ちなみに、帰路の時点で米軍の哨戒機に発見され、通信を傍受されている。
 なお、落とされた爆弾のうち2発が不発弾だったとのこと。番組では何も言っていなかったが、これはわざと不発弾にして工事再開を妨げようとしたのか、事故なのかは分からなかった。


 イスラエル非難声明が出たし、作戦直前にベギン首相と会談したエジプトのナセル大統領は政治的苦境に陥ったが、内心ではイラク核武装を歓迎する国がほとんどなかったようだ。 特に米国ではイスラエルの実行力の評価が高まり、同年9月に「戦略的関係」を提携するに至る。


 米国は台湾の核兵器開発は工作により断念させていたが、イスラエルについては断念させようとしたものの、「これを問題化させると、ソ連アラブ諸国に核を売り込む危険が高まる」として表沙汰にはしなかったのだそうだ。この辺は難しいところ。


 この番組が今制作された理由は、昨年9月のシリア空爆北朝鮮の支援による核兵器開発施設があったとされる)の情報が公開されたことと、イランの核兵器開発疑惑が高まっていることによるものだろう。イスラエルが対イランと対シリアとで手段を変えている本当の理由は分からない。なおイスラエルの立場は「周囲がイスラエルが核を持っているかも、と疑ってくれればそれで充分」というもの。
 番組は中東を扱っているが、核があれば自国の権威が高まると思っている国はもちろん中東にばかりいるものではないし、残念ながら日本国内にも少数ではあるが存在する。IAEAも頑張っているとはいえ、パキスタン北朝鮮とここ10年で2回の失敗を重ねている。可能性としてはイランが最も懸念されているわけだが、さて核兵器開発阻止に成功できるだろうか。