- 作者: ダライ・ラマ14世
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2012/10/12
- メディア: Kindle版
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そのときの、講演をまとめたのがこの本。
もちろん、猊下は仏教の専門家なので突っ込んだ話はいくらでもできるはずだが、そういう経緯での講演会なので、対象は一般の日本人。震災という災厄を受けた日本人に対して、仏教の専門家として語りかける内容になっている。
第一章の最初の部分はこんな感じ。
まず最初に、なぜ私が仏教の教えをみなさんにお伝えするのか、その理由をお話したいと思います。
みなさんの中には仏教に興味があまりない方もいれば、違う宗教を信じている方もいるでしょう。宗教そのものを信じていない方だっているでしょう。
それでも日本のみなさんに仏教の教えを聞いていただきたいのには、幾つかの理由があります。
(中略)
日本の文化や習慣も、仏教の影響を受けているものが多く、日本人は日々仏教に慣れ親しんでいるといえます。
でもその割に、仏教が何であるか、どんな教えかを知らない人が多い。
(中略)
日本のみなさんの多くは、せっっかく御両親や先祖から仏教を受け継いでいるのですから、一度きちんと仏教を学び、考えてみてはどうでしょうか。仏教国という環境から言っても、日本人の価値観に会うことが多いでしょう。
(No.82-No.98)
あくまでも押しつけはしない、というのは徹底している。
ということで、あくまでも一般向けの分かりやすい話ですし、押しつけがましくもない。仏教入門としても気楽に読めると思います。
以下、幾つか興味深かった部分を抜き書き。
頼るものが無いと不安になるのではと危惧したり、心からの信仰がないのにどこかの宗教の信者になったり、そんな必要は全然ありません。
ただ、無宗教の方は、宗教の役割を意識的に他のもので補うべきです。宗教を持たないと、精神を高めたり平和を願ったりという精神的活動が疎かになりがちです。また生きていくための指標や基準も見失いがち。そのままだととても貧しく寂しい人間になってしまうでしょう。
(中略)
それでは、宗教を持たない人が心と向きあうには何を基準にすればいいんでしょうか。それは世間一般の「倫理」です。
(No.112-No.120)
宗教の役割はちゃんとある。別に宗教を持たなくてもよいが、その場合は宗教が支えているものを自覚的に取り入れておきなさい、という話。
この「他人への愛情が自分の幸福になる」という感覚は、家族という関係性の中なら簡単に理解出来るものなのに、集団が大きくなるにつれ、どんどん実感が薄れて入ってしまうのです。
(No.360)
あらゆるものごとに「実体はない」というこの本質を、仏教では「空」と表現します。
ただし大切なのは、「空」は「存在していない」という意味ではないということです。「存在していない」と「実体がない」とは全く別物なのです。簡単に言えば、「そのものの有無」が存在であり、「確かな姿」というのが実体です。
(No.489-No.498)
「空」は存在があって初めて成り立つ概念です。物事は存在があって初めて認識されるけれど、どんな認識も単なる概念に過ぎないので、だからあらゆる実体は「空」である、こういうわけです。
(No.521)
「空」について。
幸せを分析すると、外部刺激による反応としての外因的な幸せと、自分の精神によって生み出された自立的な幸せがあるとお話ししましたが、苦しみも同じように外因的な苦しみと精神的な苦しみとがあります。
(No.689)
実は今、震災で生じた苦しみが、外因的な者から精神的なものへ変化しているのではないかと私は考えています。もともとの苦しみは、地震という外部刺激によって引き起こされたものでした。地震そのものの恐怖、家族や故郷をなくした悲しみ、そういったものだったのです。
しかし、徐々に苦しみや悲しみ自体が一人歩きをするようになった。精神を呑み込み始め、自分で苦悩を新たに生み出すようになっているのではないでしょうか。自分で自分を苦しめ、悲しみを自分で強くしている。少しずつその傾向が強くなっているように思います。
(No.967-No.706)
これを震災半年後の時点できちんと指摘している。よくあるパターンなのだろうな。
瞑想ばかりして勉強を疎かにしている僧侶が多い。また、日本ではよく禅を組む修行が行われていますが、ただすわっているだけの人が多い。
知識のないまま瞑想をしても意味はなく、悟りに近づくことすらできません。きちんとした勉強と瞑想が合わさって初めて価値があるのです。
(No.950)
師の教えが何を意味するのか理解したり、自分で検証したり、ときにはそれに疑問を持ったりするには、当然一般的な仏教の基礎をきちんと知らなくてはいけないのです。
(中略)
儀式やお祈りばかりしていても、そこに救いはありません。
(中略)
たしかに仏教とは「三宝に帰依する者」と言われるように、仏や僧に帰依する者という捉え方もあります。もちろんその存在によって、心が穏やかになったり、慈悲を高めたりするきっっかけになれば、それはそれでいいことです。
しかし、仏像も僧侶もあなたを救ってくれるわけではありません。あなた自身が自分の心と向きあわなくてはならない。
(No.959-No.976)
この辺を疎かにしたのが、オウムとかのニセ宗教だったのだろう。
他に、「三苦」「四聖諦」「苦集滅道」「一切知」「所知障」といった言葉の説明、般若心経の簡単な解説なども。