k-takahashi's blog

個人雑記用

プレイステーション 20周年

今日は初代プレイステーション発売から20周年。あちこちで関連記事も出ているけれど、私も思い出話を少々。


1994年の12月3日は土曜日で、予約を入れていた店に引き取りに行き、そのまま会社の寮に持ち帰って週末は遊びほうけていました。同時購入ソフトは『リッジレーサー』と『A列車』。


初めてマックで動くシムシティを見たのがたしか1989年。箱庭の中を動き回る列車を見ながら「この列車から自分の作った都市を眺められた楽しいだろうな」と夢想したものの、どう考えても当時のパソコンでのリアルタイム処理は無理。
しかし、数年経ってそれは単なる夢物語から「高性能ワークステーションなら可能」というところまで変わってきていた。そして、1993年末に「ワークステーション並のパワーを持ったゲーム機」としてPS-X(仮称)が発表された。数ヶ月後、アートディンクが「PS-X用にA列車を出す。車窓モードをつける」と発表。
もう、他に何もなくても買おうと思ったわけです。


ゲーム店の店頭にはプレイステーションのデモ機があったけれど、店頭デモは『リッジレーサー』一色。まあ当然と言えば当然。待ちに待った『A4』がようやく手元に来たのがこの日。リッジほったらかしで『A列車』。ちょっといじっては車窓モードを動かしてました。
当時の車窓モードは一旦ゲームを止めて車窓モード専用モードに入らなくてはならず(ゲーム中にシームレスに通常画面と車窓モードを切り替えられるようになるのはPS2になってから)、そこはちょっと残念だったけれど、数年越しの夢がかなった時でした。
今の目で見ればどうってことないけれどね。


翌日になってリッジを遊び始めたのですが、こっちも面白かった。
CD音源の音楽というのは、PC-Engineで色々体験した(『イース』とか『エメドラ』とか『天外魔境』とか色々あった。『超兄貴』も。)けれど、リッジのセンスと映像表現との組み合わせは一段上でした。しばらく遊んでは、BGVモードで流しておいたりしました。
なんと当時の『リッジ』は起動時に全データをRAM上にロードしてしまっていました。なので、ゲーム起動後にCDを入れ替えるという大技が可能で、リッジのBGMに他の音楽CDを使うという遊びもできました。


PS発売に合わせてSCEが掲げていた流通改革があった。当時はカセットROM主流の時代。そしてカセットROMの製造には数ヶ月の時間と数億円の前払い金が必要で、これがゲーム流通を大きく歪めているという問題が顕在化していた。
SCEはCD-ROMを採用し、かつ音楽CDの自社生産設備を有効活用することで、1週間程度でのリピート生産を可能とし、過剰流通在庫や莫大な前払い金などの問題を解決しようとしていた。ダウンロード販売が当たり前になった今なら何の不思議もない考え方だけれど、当時は、そんなうまくいくのかという疑問の声の方が大きかった。

それが、PS発売直後の『キングス・フィールド』というゲームが、このシステムを絵に描いたように利用し、リピート生産を繰り返してヒット作になる。


12月末には『闘神伝』というゲームが出る。これはヴァーチャファイターのようなストイックな格闘ゲームに対して、「簡単に遊べて楽しい」という路線で作られたゲームだった。
こういったゲームが、サードパーティから次々と出ていたのが、サターンと大きく違うところだった。


もう一つ技術面でビックリしたのが、『クライム・クラッカーズ』。
ゲーム本体はキャラがポップな感じの3Dシューティングで、この手のソフトを軽々とこなすPSの技術デモにもなっていたが、これは予想範囲内。
このゲームはエンディングにおまけムービーが付いていた。いわゆる「ご褒美」だったのだけれど、このムービーのクォリティがやたら高かった。
当時出ていたゲーム機の中ではPC-FXが動画再生機能に特化して、確かに綺麗なムービーを使っていたのだけれど、『クライム・クラッカーズ』のムービーはそれに見劣りしない出来だった。それどころか、PC-FXのムービーよりこちらの方が綺麗に感じられた。ムービー自体の出来とかオーサリングツールのこととかもあったとは思うけれど、単純に驚いた。


先日のサターン昔話に合わせて、95年の春の話までしよう。
3月末にナムコの『鉄拳』発売。上述の『闘神伝』と異なり、こちらは本格系の3D格闘ゲーム。60FPSで綺麗に動いていたのも印象的だった。
4月末には『ジャンピングフラッシュ』が出た。箱庭系の3Dアクションというと『マリオ64』が有名だが、『ジャンピングフラッシュ』は縦方向(ジャンプ)に着目したゲーム。3D空間を動き回る感覚が楽しかった。(ムームー星人が初登場したのもこれ)
あとは、『ときメモ』の移植が発表されたのもこの頃で、画質・音質が上がったこともあって話題になっていたと思う(発売は、95年の秋)。