k-takahashi's blog

個人雑記用

ヒットするのゲームデザイン 〜マーケットをどう捉え、どうゲームデザインに反映させるのか

「ヒットする」のゲームデザイン ―ユーザーモデルによるマーケット主導型デザイン

「ヒットする」のゲームデザイン ―ユーザーモデルによるマーケット主導型デザイン

本書はゲームプレイヤーの願望(何を欲しているか)と動機(何を喜びと感じているか)を一般的な手法で理解しようとした、初のゲームデザイン本である。(Ernest W Adams氏の序文より)

誰のためにゲームをデザインするのか、そしてどうデザインするのか(Ernest W Adams氏の序文より)

 徹底的にマーケットを意識して考えたとき、ゲームはどのようにデザインするべきか、についてまとめた一冊。
原書は2005年8月の発売だから、脱稿は2005年の前半、なので元の資料は2004年のデータということになる。だから、分析結果はそのまま受け取るわけにはいかない。巻末に付録として付けられている井上明人氏の記事ですら、ソーシャルゲームiPodゲームという最近の現象は取り入れていない。 だから、あくまでも本書は「考え方」を示した本だと思わなくてはならない。


 という前提の上でだが、良書です。例えばDGD1人口統計モデルというのがあり、「征服者(タイプ1)」「マネージャー(タイプ2)」「放浪者(タイプ3)」「感情判断型(タイプ4)」と4つのプレイスタイルを置くモデルである。そして、調査の結果、各タイプにそれぞれ「ハードコア/カジュアル」なマーケットが存在することが分かったとして、H1(ハードコアタイプ1)とかC3(カジュアルタイプ3)とかの8分類を置く。次に、各層のプレイヤーにはどのような能力と嗜好があるのかを分析していく。
そして、あるデザインや方針はどの層に受け入れられるのかとか、ある層をターゲットにするならどういうデザインが必要かなどといった具体論に続けていく。この時に「常にマーケットサイズを念頭に置く」という考え方が本書のキモなんだと思う。


 個々のデザイン技術論についても、よく整理できている(開発フェーズを 1.コンセプト、2.初期デザイン、3.拡張、4.収縮、と分類するところとか、タイト・弾力性などの言葉遣いとか)。米国のデザイナーやプロデューサーがこういう言葉でコミュニケーションを取り合っているのかと思うと、日本の会社が押され気味になっているのも分かる。
その部分の概略だけ引用しておく。

最近はビデオゲームのデザイン全体を4つのフェーズに分けることが多い。第1フェーズ「コンセプト」では、ゲームのアイデアとおおまかな枠組みを作成する。「初期デザイン」と呼ぶ第2段階では、デザインの構想をより詳細にした文書を作成する。第3段階は「拡張」であり、必要なすべての要素に対応するようにゲームデザインを膨らませる。そして最終段階は「収縮」で、目標スケジュールに合わせるため、もっとこうしたいという野心を必死になって削る段階である。(p.114)

ゲームデザインが、拡張段階と収縮段階で動かせる自由裁量の分量を、デザインの「弾力性」と呼ぶことができる。ゲームの核であるコンセプトを構成するデザインを「タイト」(引き締め)と呼ぶ。一方、仕様全体にかかわる一連のデザインを「広範囲」ということができる。(p.117)

 ビジネスとしてゲーム産業を考える人の必読書になる一冊だと思う。


TRPGについて

 上述の広範囲の例としてTRPGが言及されている。

テーブルトークRPGは広範囲のかたまりだ。ゲームの数多くのオプションは次章として印刷すればよく、コストがかからないからだ。それに比べ、広範囲なビデオゲームデザインは開発費がかかるので、ゲームデザイナーは広範囲なデザインが行える場合でも注意が必要だ。広範囲なデザインの長所と落とし穴を見極めるのに、RPGデザインの分析は有益な第一歩となる。(p.128)


TRPG自体については、

テーブルトークロールプレイングゲームの最小限の形とは、審判(ゲームマスターとしても知られる)とプレイヤーとの間のルールである。プレイヤーは、彼らの行動によってストーリーがどう拡張するかを審判が決めることを受け入れ、これに対して審判は、進行役またはストーリーの語り手として、エンターテインメントや公平さを提供する役割を担う。(p.125)

AD&Dは「Dungeons&Dragons」(TSR、1974年)やそれ以前のゲームと同じく、「クラス&レベル」システムと見なされている。「クラス&レベル」システムはなじみやすいため、大半のコンピュータRPGの基本となっている(ステージをクリアしていくシステムでは、経験をひたすら積むことで先に進めるようになることが多い。これは一部のプレイヤー、特にタイプ1志向のプレイヤーは、かなり病みつきになる(p.126)

とある。


ただ、原著者のせいなのか、翻訳者や監修者がよく分かっていないせいなのかは分からないが、できが悪い部分が目立つ。

ゲームプレイヤーは、ゲームの仕掛けがランダムに働く状況では、審判としての役割を果たすゲームマスターを信頼し、安心感を覚える。(p.125)

(ベーシックロールプレイの紹介に続けて)
このシステムの仕組みは単純だ。スキルはパーセントで表され、成功するか失敗するかはサイコロの目によって決まる。単純さは結構な限りだが、この仕組みの問題は、運悪くサイコロを転がすたびに失敗に終わる場合だろう。ゲームマスターが寛大で、サイコロを転がさなくてもプレイヤーが前に進めるようにしてくれない限り、ストーリーはある種運命論的になってしまう。(p.126)

例えばプレイヤーが鍵のかかったドアにたどり着いたとき、ドアを破って入れるかどうかをあるランダムな判断で決められない。補足の仕組みによって、他の入り方が存在するかもしれないからだ。ドアを通過する他の方法が存在するなら、ドアを破れるかどうかをランダムに決めると言うことは、つじつまが合わず、無用なものとなってしまう。(p.127)

この辺りの部分、私は本書が何を言っているのか分かりませんでした。


TRPG関連としては、

関連してTRPGにおける上達というのも、今まで繰り返し議論されて来ましたが、ユーザーモデル主導のデザインでは、上達指向のユーザーとそうでないユーザーがいることから出発し、それぞれのタイプののユーザーにどのように楽しみを提供していくのか建設的な議論が展開されています。
こうした意味で、今までなされてきたTRPG論考では納得いかない部分などが本書ではかなりきれいに整理されます。TRPG論考を趣味にする奇特な方には是非読んでいただきたい一冊です。

2010-02-18 - ブレーキをかけながらアクセルを踏み込む

という評があり、確かに参考になる部分は大きいのです。が、こと日本のTRPGマーケットを見たときには、あまりにも市場規模が小さすぎて裏付けとなる調査もできないような状態のような気もします。(マーケット分類の妥当性を常に確認し、規模も最新情報できちんとフォローする、というのが本書の方法論のベースにあると思いますので。)


ジャンピングフラッシュ

一人称視点のゲームで、ゲーム環境内の空間的な位置関係の判断をプレイヤーに求めるの避けるべきである、という議論のあとに、その例外としてTranquilityとジャンピングフラッシュがあげられていて、ちょっと感心した。3Dゲームの勃興期の名作の一つだったが、あまり言及されることはなかったので。


ときめきメモリアル

 ライフシミュレーションの章に登場します。当然、欧米でのこのジャンルは「The Sims」シリーズということになりますが、ときメモも言及されている。ちょっと長いですが、面白かったので引用。

RPGのように没入を感じさせるスタイルは、日本の「ライフシミュレーション」ジャンルにも受け継がれ、そのもっとも有名な例が、美少女ゲームとしても知られる「恋愛シミュレーション」である。美少女ゲームという用語は、多くの「ヘンタイ」(ポルノアニメ)ゲームを含む、若い少女のアニメを特徴とするすべてのゲームに用いられる。美少女ゲーム恋愛シミュレーションだけでなく、こうしたコンテンツを含むすべてのゲームに適用できる。
もっとも有名な恋愛シミュレーションゲームは「ときめきメモリアル」であり、プレイヤーは男子高生となり、複数の、それぞれ好き嫌いがはっきりした性格の女の子の中から1人を誘ってデートする。核となるゲームプレイは2つある。一方のプレイでは、プレイヤーは女の子達と会話する際、リストにある複数の選択肢の中から、適切な会話を選択しなければならない。もう一方では、日々の活動のバランスをうまく取る必要があり、これによって主人公の評価が上がったり下がったりする。ゲームの最後に、プレイヤーはどの女の子に一番もてたかが分かる(もてたとすれば)。
当初は男性プレイヤーをターゲットにすることが想定されていたが、リリース後、女性プレイヤーも「ときめきメモリアル」を楽しんでいることが明らかになった。以前の恋愛シミュレーションゲームと異なり、「ときメモ」はいやらしさやセックスを含まず、非常に無垢でロマンチックなストーリーとして表現されていたというのは注目に値する。ロマンチックな要素が女性プレイヤーに受けたのは間違いないが、「ときメモ」のプレイによってタイプ4が参加するようになったようだ。
このジャンルのゲームの戦略的な面はRPGを反映しており、RPGスタイルの冒険的な要素も含んでいる。H4プレイヤーが日本風RPGを楽しむのは当然だろう。しかし重要なのは、身体的に優れた能力を反映する大半の戦略RPGとは違い、恋愛戦略は性格のあらゆる面を反映している点だ。戦士を育成するのではなく、性格の育成という感覚が、このジャンルでは重要となっている。
このゲームは日本では大ヒットとなり、ゲーム業界の内側でも外側でも、スピンオフによる小さな業界が生まれた。しかし欧米ではリリースされることはなく、恋愛シミュレーションゲームは欧米では「負け犬」のプレイとして酷評された(ただし日本語が読める一部少数派の間では絶賛されたが)。おそらく、現実世界で女性と楽しく会話ができない男性をターゲットとしたゲームだという印象を与えたためだろう。恋愛シミュレーションではなく、「プリンセスメーカー」シリーズのように、プレイヤーに父親の役割を担わせ、仮想世界で少女を育てていく育成シミュレーションとして位置づけられれば、こうした偏見も覆され、このジャンルには世界中のタイプ4志向の層を得る可能性がある。
日本ではこのスタイルのゲームに人気があること、また同様のスタイルのRPGも人気があることから、日本では欧米よりも、かなり多くのタイプ4ビデオゲーム層が開拓されていると思われる。(pp.316-317)

分析自体も面白いし、常にマーケットを意識している(セックス要素を排除したことで、タイプ4層が参加したとかの部分)という本書の特徴もよく出ていると思う。