k-takahashi's blog

個人雑記用

 

こちらは、西田宗千佳先生の生成AI本。

色々なところで記事として書いてきたことをまとめたものなので、追っかけている人からすると新しい情報というところは少ない。それよりは、生成AIをどう捉えるか、どう説明するか、というところがポイントになっている。

 

生成AIが急に流行った理由。

AIの進化は突然起こったものではない。だが、変化の可視化は急激に起きた。

現在の生成AIを「エンジンだけの自動車」に例える。LLMという核になるパワフルな機構はできたものの、仕事や文書生成、人との対話と言った「人と接する部分」自動車のボディのような存在は、様々な企業が開発を続けているところなのだ。

そして、そんな「ボディ」の中で一番分かりやすく、多くの人に受け入れられてのが、OpenAIのGPTの頭シリーズということになるだろう。

 

生成AIを使う場合の注意点。

急いでいるときや判断したくないときなどには、目の前に出てくる回答をそのまま信じてしまいたくなる。特に知らないことについて聞いた場合は、出てきたものをそのまま信じやすくなる。

本書の中では、生成AIの作る文章を「解答」ではなく「回答」と表記していることに気付いただろうか。生成AIの出すものは正解でも解決策でもなく、文字通り「返ってきた答え」にすぎない。

生成AIのは嘘をつくと言われることが多い。

しかし、それは正しくない。嘘もなにも、生成AIのは判断していないのだ。単に文章を並べているだけなのだから。嘘は正しくないとわかってつくものだが、生成AIのは正しさを判断していない。

 

生成AIの使い道

ネット広告では、「広告の掲載時間」や「その人が他にどんなサイトを見たか」といった情報によって、広告コンテンツを分けて出すのが当たり前になっている。今は素材の不足などもあって、最適解は中途半端な状況にある。しかし、生成AIの力を活かして素材生成速度を劇的に速めることができたなら、話は変わってくる。

あと、企業ユースの事例も紹介されている(AdobeNetflix)

 

知的作業についてはこんな記載がある。

直接会うことが重視されてきたのは、結局、人間の即応力を活かすことが最大効率をもたらしたからではないか

多くのレポートは箇条書きよりも、ちゃんとした流れのある文章であることが求められる。理由は、その方が理解しやすいからだ。

同じ文脈を共有している同士ならば、箇条書きでも問題無く伝わることは多い。しかし、そうでない人を相手にする場合には、箇条書きだと抜け落ちる部分がある。生成AIに文章化してもらい、それを呼んで必要な部分を直して完成させることで、文章を一から書くよりは楽に作業を終えられるだろう。

2つ目の方は、教育事例にも関わるが、箇条書きを受け手に合わせて生成するという方式もありうる。

 

そして、AIの間違った使い方について

「AIによって人間が蔑ろにされる」とは、「人間が他の人間を蔑ろにする行為をAIにさせる」という話に尽きる。

 

知識ではなく、見方・言い方が参考になる一冊。AIについて人と話すときにピントがずれないようにするのに、こういう本は重要だと思う。