k-takahashi's blog

個人雑記用

バーチャファイターとプレイステーション

初代PSの企画・開発・発売については色々な記事が書かれており、去年も『証言』*1という本が出ていた。
昨日も、あるトークイベントが開催され、そこでPS初期の頃の話が出たようだ。


私もこの辺には割と関心があり、本が出たり記事が出たりしたらできるだけ読むようにしている。そんな中でいまだによく分からないことに、当時のソニーセガの関係とがある。
日本ではセガメガドライブ任天堂スーパーファミコンに比べて非常に小さいシェアしかなかったが、北米では時期によっては任天堂を上回るセールスを記録したこともあった。
ソニーが新型ゲーム機を開発するにあたり、セガに交渉を持ちかけなかったはずはないのだけれど、どこを見てもそういう記録がない。


上記のイベント記事でも

 黒川氏は当時、SCEの戦略発表会でこっそり撮影された『リッジレーサー』の映像を入手し、AM2研に見せたのだという。当時セガサターン登場に向けて移植中だった『バーチャファイター』はこの完成度にはなかったため、クオリティアップに注力することになったそう。「あんな抜きつ抜かれつの戦いはなかったね」と丸山氏が語る、プレイステーションセガサターンの過酷な競争の始まりだ。

初代プレイステーションを救ったのは『バーチャファイター』!? SCE創業メンバーたちがその成功の背景を語った - ファミ通.com

当時ソニーセガに話を持っていったとしたらそれをAM2研のトップが見ていないはずはないから、少なくともナムコ参入決定以後にはソニーセガ没交渉だったということになる。
となると、やはり91年〜92年頃のソニーセガの交渉がどうだったのかというのがなあ。

疑問

当時も3D化の方向性自体は皆疑っていなかったと思う。既にPCではフライトゲームを中心にどんどん3Dのゲームは出ていた。任天堂スターフォックスだって93年の2月発売でバーチャファイターより前。
当時疑問視されていたのは「家庭用には時期尚早」「そこまでの性能は必要ない」「価格が高すぎる」などであり、また「もう少し2Dゲーム向け機能(スプライトとか)をサポートするべきだ」というところだったと思う。


PS1のアーキテクチャは非常にすっきり(太いバスを介して、CPUとメインメモリとグラフィックチップが繋がっている)していて、しかもチップはカスタムの塊(PS1のGTEは当時としては非常識な性能。時間をかけたカスタム化でなければ不可能だった。グラフィックチップもGTEほど非常識ではなかったけれどこちらもカスタム)。こういうシステムをそう簡単に変更できるわけはなくて、SCE自体は最初から突っ走っていたのだと思う。
ただ、サードパーティがバーチャを見て3Dゲーム参入を決心した、というのは相当程度事実だろうと思う。特に任天堂系しかやっていなかったところは3Dなんか考えてなかったろうから。