k-takahashi's blog

個人雑記用

日本のゲームセンター史

 

ゲームセンターの昔話というと、インベーダーハウス、ゼビウスとかドルアーガとかの交流文化や対戦格闘ゲーム辺りがよく出てくるが、それが全部というわけではない。もう一回り広い視点でゲームセンターを捉える、特に実際の店舗に注目した分析が少なかった。それを調査した本。川崎寧生氏の博士論文を中心にまとめられている。

 

いわゆるゲームセンターだけでなく、インベーダーブームが過ぎた後の喫茶店店舗、子ども・ファミリー向けのショッピングセンター等の併設施設、駄菓子屋といったところを分析しており、確かにこの辺の話はあまり読んだ記憶がない。

風営法の影響はよく言われるが大店法も影響していること、ギャンブルとの関連でのメダルゲーム機、ボウリング場との関係、また娯楽施設という観点だと現在のボドゲカフェがまたゲームセンターの子孫であるとも言える、などなど。

 

ゲームセンターが徐々に減っていることはよく知られているが、それでも諸外国と比較すると日本は十分残っているが、それはなぜかということも論点の一つになる。

 

規制としては、ギャンブル対策と青少年保護というのが社会統制側の大きな関心であった。もともとアーケードゲーム機自体がギャンブルとの繋がりが薄かった(薄い営業形態が多かった)とはいえ、それが無かったわけではなく、また不良少年の溜まり場というのはある程度実態としてはあった。風営法を契機にかなり厳格にギャンブルと縁を切り、また不良少年対策も進んだことが結果としては奏功したと言える(他国はこの種の規制でゲームセンターが絶滅したところもある)。またそのどちらでもない駄菓子屋(主に小学生が対象)や併設施設(家族連れが対象)は厳しい規制を逃れ、またそういったゲーム施設が生き残ったことがゲーム文化が滅びなかった理由にもなっている。(諸外国はここがなくて断絶に至った) 子ども達が社会性を学ぶ場としての駄菓子屋ゲームというのは、多少こじつけっぽくもあるが、ゲームが反社会的なものではないという社会合意を支えることは確かにあるだろう。

 

インベーダーハウス以降の喫茶店ゲームも、調べてみると麻雀やクイズゲームなどを中心にかなり長い期間営業を続けていることが分かる。対戦文化ともハイスコア文化ともことなる娯楽という観点で遊ばれてきた。これもゲームセンター文化の社会受容に貢献したと言える。

 

こうしたゲームを受容する社会文化を育んだことが、日本文化社会の大きな強みと今はなっているわけで、それに多様な形態のゲームセンターが貢献したのだなあ、などと思った。

 

比較的読みやすいと思うので、興味ある方はどうぞ。

 

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ゲームスタディインタビューズVer.5 日本のゲームセンターに対する学術的研究の展望と課題―報告者の博士研究を中心に― - DiGRA JAPAN