- 作者: 瀬名秀明
- 出版社/メーカー: 晶文社
- 発売日: 2006/08/30
- メディア: 単行本
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H−IIA7の打ち上げ見学に行った際のエピソードも紹介されている。瀬名氏は宇宙航空ビジョンアドバイザリー委員会なるもののメンバーになっており、その会合の紹介(そして、勿論、瀬名氏本人の持つ問題意識の紹介)が書かれている。
先日の笹本氏の本*1にも同じ打ち上げを扱った章があり、プレスルームの方が面白い、というあたりが同じなのは愉快だが、視点が違うため切り口も変わっている。瀬名氏は、関係者全員が共有するビジョンと国民が求めるビジョンとにズレがあることを指摘し、「ストーリー」を求めている。笹本氏の方は、この分類だと大きく前者に寄っている。(個人的に読んで面白いのは笹本側なんだけど、でも、多分笹本氏は作家という立場である以上後者も語るべきなのだろう。)
という一般的な話の部分はさておき、本書を読んでいて気がついたことがある。
わたしは「八月の博物館」を読んでいたときに、小学校近くの道というイメージが何度か頭に浮かんだ。そして、それをドラえもんに出てくる風景だろうと思っていた。八月の博物館はドラえもん小説だから、このこと自体には何ら不自然なところはない。
が、本書にこんな記述があった。
私は大人になってから何度となく、優れた物語で少年期の夏休みを追体験してきたように思う。私は小説の文字を目で追いながら、自分の記憶を重ね、そして同時に記号化された夏の記憶を重ねて、あの夏休みを永遠に繰り返してきたのである。そこで得られた感情の記憶は、再び私の脳へとフィードバックされて、夏の記憶を補強していった。(p.205)
毎年公開される「ドラえもん」の映画は、常に一夏の冒険の物語だった。来年は残念ながらおやすみだと言うが、それでもドラえもんは二十五年間にわたって、私をあの夏へと連れ戻し続けた。(p.205)
この部分を読んでいて、私が8月の博物館を読んでいたときに思い起こしていたイメージは、自分の記憶の中にあるイメージだったのだと分かった。それは、別に冒険でもなんでもなかったし、多分夏に限ったことでもないと思うが、「私の」「補強された」記憶だったのだ。
読んで5年くらいたっていると思うが、今更気がつくとは。
*1: