k-takahashi's blog

個人雑記用

ゲームジャーナル 24号

 付録ゲームは「レイテ湾強襲」。デザイナーズノートにはこうある。

史実における「客観的情報」と「主観的情報」の乖離が大きく史実の展開を左右した場合、どのようにそれを解決するのかというのは永遠のテーマの一つですが、本作の場合はこのように「演繹法的アプローチ」によって、プレイヤーの心理面、つまりレイテ湾海戦当時の指揮官がどのような点でジレンマを感じ、当時与えられた情報の中でどのように振る舞ったかというその点の再現を、プレーヤーに提供することを目指すことが可能になりました。

ここで、「演繹法的」と言っているのは多分「帰納法的」の誤植だと思うが、望んだ結果が出るように前提を決めるというアプローチ。本作だと、ハルゼーのような行動を誘発させるように、ルールとして空母の直衛ができない、対空砲火が弱い、日本の航空戦力は強力、などとするというもの。程度問題とはいえ、デザイナーの主観(歴史観)が強く出ることになるので、扱いは難しくなると思う。個人的にはいわゆる「陰謀ルール」で無理矢理行動させるのとあまり違わないようにも思うのだけれど、主観性を陽に意識しているというところがポイントなのかな。
 デザイン論で言うなら、ソロプレイゲームやコンピュータゲーム化との比較も必要になるはずだと思う。


 「Squad Leaderの光と影 汎用歩兵戦闘卓上遊戯に見る構成の発展と限界 前編」(柿崎唯)は、一言でいえば、「『ロシアン・フロント』をプレイする人間は『ロシアン・キャンペーン』も遊ぶのに、なぜSLとASLではそれが起きていないのか?」という問題提起。
 結論は明記されていない(おそらく後編で書かれるのだろう)が、精密さのためにルール量が多いが初心者でもそこそこ遊べるようにするための工夫(ステップアップ方式)が、似て非なるシステムの並立によるプレイ相手・プレイ環境の貧弱化を招いてしまったため、ということになるのかと予想する。(プレイ環境というのは、作戦研究とかリプレイとかのこと)
 選択ルールの類も同じ問題を抱えるはずなので、別にSquad Leaderに限った話ではないはず。後編が楽しみ。

 しかし、「パウルス君」(「シナリオ3までしかやっていない」→スターリングラードから出ない、の意味)という言い方は笑った。


 「坂の上の雲では読めない日露戦史」(別宮暖朗)は、石炭積載量から見たロジェストウェンスキー対馬選択理由分析記事。今までこの視点で考えたことはなかったので新鮮な指摘だった。