k-takahashi's blog

個人雑記用

ゲームジャーナル 33号

 付録ゲームは、旧アドテクの「アウステルリッツの太陽」。NAWシステムにチット命令システムを組み合わせて三帝会戦を表現している。指揮官駒には肖像が印刷されており、グラフィックの質はオリジナルより格段に向上している。

 記事として、ヒストリカルノートと作戦指針の他に、「太陽」の森野智次デザイナーの対談記事と新規選択ルールについてのコラムが掲載されている。面白かったのがこの新規選択ルールについてのコラム「選択ルール制作ノート」。
オリジナルルールでは敵軍の士気を崩壊させれば勝利となっていたが、消極的プレイヤー同士が対戦した場合、両者ともに攻勢に出ず、ゲームが成立しないという可能性があった。そこで、森野氏は拠点の支配数を勝利条件に加えることを考えた。これが妥当か、というのがコラムの内容である。
 まず、史実の解釈という点からはこの新ルールの妥当性は低いことを認めている。しかし、それでもこの追加ルールは正当化可能だとして、バルジを例に論証を行っている。
 バルジのゲームでは往々にして奇妙な行動が起こることが指摘されている。いきなり連合軍がある線まで後退して守ったり、独軍が攻勢を連合軍が反撃する前に止めてしまったりすることである。その理由は明らかで、プレイヤーが史実を知っているからである。史実通りの設定で、史実通りのメカニズムを設けても、指揮官が史実と異なった決断をすることは止めようがないのである。
 そこで、アウトプット(結果)を異常なものにしないための誘導ルールが必要となってくる。(いわゆる「帰納的アプローチ」)
この帰納的アプローチという観点からは、新ルールの正当性が主張できるというのが森野氏の論である。
もちろん、両プレイヤーが敵軍の士気崩壊を目指してプレイするという合意があるならば、新ルールを使わないプレイも可能となっているし、森野氏もそうやって使い分けて欲しいと書いている。


 柿崎氏の批判序説は、次号掲載の「燃えよ、姉川の戦い」に関連しての戦国時代の兵の強さについての記事になっている。
当時の専門兵が農民兵より強いなどとは全然言えないということや、信長の優位性が戦略的なものであって兵そのものの強さでないことなどはよく言われることだが、その「弱い」理由を面白いところで示している。
 それが元亀3年10月の信玄による対織田家開戦である。この時点で、信玄は上杉家との戦いを終わらせていない。信玄は、全力で上杉と戦うよりも、一部の力で織田家と戦う方が勝機が高いと計算したから、この対織田戦を開始した。そして、それが当時の一般的常識だった可能性が高い、ただし、織田兵の力は信玄が(そして、当時の多くの人達が)思っていたよりは強かった、というのが柿崎氏の意見である。
 なるほど、と思った。
 なお、「燃えよ、姉川の戦い」とした理由は、略称を「もえ姉」にすれば間違って買ってくれる人が増えそうだから、ではないそうです。