k-takahashi's blog

個人雑記用

ロンメル戦記

ロンメル戦記 (学研M文庫)

ロンメル戦記 (学研M文庫)

 山崎雅弘氏によるロンメルの伝記。有名なアフリカ戦役だけでなく、生い立ち、軍人の道を選ぶところから、一次大戦での軍歴、なども解説してくれている。一次大戦時にも、奇襲、スピード、主導権確保、相手の混乱を誘う、など、アフリカ戦で見せた才能が芽生えていたことが具体的な戦い方の中から見えてくるように書かれている。

 戦間期には、一次大戦時の教訓を生かした教育をドレスデン兵学校で行い人気を博していたそうだ。また、その戦訓などをまとめた本で結構な収入になったこと(加えて、その収入を節税、というか脱税に近いが、したりとか)も書かれている。


 興味深いエピソードの一つは、ある種下世話な話ではあるが、1913年のエピソード。第124歩兵連隊で、新兵教育の任についていた頃の話。将来の妻であるルーシーとの交際が始まっていたにもかかわらず、ロンメルはヴァルブルガ・シュテマーという年下の少女と関係を持ってしまい、なんと彼女を妊娠させてしまった。この子は1913年12月8日に誕生し、ガートルードと名付けられた。ロンメルは養育の責任を負うことに合意し、実際に面倒を見続けたそうだ。なお、ガートルードは1942年にロンメルの娘であることを知られることなく結婚したとか。


 ロンメルについては、「前線指揮官としては優秀だが」とか「戦略的判断や兵站への配慮が足りなかった」という評価があるが、それを裏付けるエピソードも多数紹介されている。
対フランス戦の総括では、こんな記述がある。

一方、この作戦における第7装甲師団の人的損害は、戦死者682人と負傷者1646人、行方不明者296人で、戦車の損失は42両だった。その数字は、見方によっていくつかの評価が可能であり、先に挙げた同師団の「戦果」と比較すれば、師団の損害は相対的に「軽微」だと言えた。だが、西方攻勢に参加した他のドイツ軍の装甲師団や歩兵師団の中で、同師団の人的損害は突出して多かったこともまた事実だった。
ドイツ軍は西方攻勢において、戦死・行方不明者合わせて4万9000人を失ったが、これを後方予備も含めた参加兵力の135個師団で単純に割ると、一個師団当たりの平均戦死・行方不明者数は363人だった。
ちなみに、グデーリアン率いる第的(自動車化)軍団の先鋒として、スダン突破作戦や英仏海峡への一番乗りなど、激戦を重ねて数々の戦功を打ち立てた第1装甲師団の西方攻勢における戦死者数は、267人(第7装甲師団の約三九パーセント)だった。(pp.179-180)

北アフリカ戦でのマルタ問題についてはこんな感じ。

ロンメル北アフリカに派遣された当初、陸軍参謀本部は「ロンメルキレナイカに深入りしないのであれば、甚大な損害の予想されるマルタ島の攻略作戦は不必要」と判断していたが、一方のロンメルは「アフリカ軍団がキレナイカからエジプト領内へと進撃すれば、当然参謀本部マルタ島攻略に本腰を入れるだろう」と考えていた。
言い換えれば、ロンメルと陸軍参謀本部北アフリカでの戦いが始まった当初から、どちらもマルタ島の攻略という、北アフリカ戦の行方を左右する重要な問題についての当事者意識を持っていなかった。(p.287)

エルアラメイン戦直前、独軍側情報収集能力が劇的に低下していたにもかかわらず、

しかし、戦局の停滞と自身の体調悪化で、精神的な余裕を失っていたロンメルは、七月中旬の戦いで次々と退却したイタリア軍部隊の不甲斐ない戦いぶりに不満と怒りを募らせており、自軍の情報が敵に漏れている原因についても、きちんと調査も行わないまま、イタリア軍司令部間での機密保持が甘いからだと決めつけていた。(p.307)

補給に関しても。

正確に言えば、ロンメルは「兵姑管理」という問題に、関心が無いわけではなかった。彼が一九四三年にまとめた北アフリカ戦の総括研究報告に記されている通り、彼は北アフリカの戦場における補給の重要性について、ほぼ的確に認識していた。
しかし、彼が他の将軍たちと大きく異なっていたのは、補給物資の輸送という、いわば裏方的な作業についても、彼が前線部隊を率いて行ったような「従来の常識を超えた大胆な方策」があれば、その限界をさらに押し上げられると信じていたことだった。(p.335)

2トン積みトラック一輔に積載できる物資の量は、後方の補給担当者がどう工夫しても2トン前後でしかなく、時速50キロメートルで走行するトラックは、一時間に50キロ以上は走ることができなかった。そこには、相手の弱点を衝く、あるいは自軍の意図を相手に錯覚させるといった「小細工」が通用する余地はなく、2トン積みトラック500両で一万トンの物資を運ぶことは、補給部隊の将校やドライバーがどれほど頑張っても「不可能」だったのである。(p.336)


 ヒトラー暗殺未遂事件については、本書ではロンメル自身は関与も賛同もしていなかったという見方をしている。部下のシュパイデル中尉の助命嘆願についても、中尉が陰謀に荷担していたことをそもそも知らなかったとしており、実際何の証拠も見つかっていないことを根拠としている。実際、暗殺案に否定的な発言が残っているそうだ。

ヒトラーに関して一番望ましいのは、彼に既成事実を突きつけるということだろう」
つまりロンメルは、国家元首であるヒトラーを暗殺という手段で排除してから、西側と和平を結ぶのではなく、西部戦線で西側連合軍との休戦を成立させてから、それを既成事実としてヒトラーに突きつけ、その受諾を求めるべきだと考えていたのである。(p.392)

 しかし、実際にはロンメルは暗殺への関与を疑われ自殺に追い込まれてしまった。もともとヒトラー以外の軍上層部へのウケが悪かったことと、唯一の味方であったシュムント中尉の死亡(皮肉にも、暗殺未遂事件で犠牲となった)とによりヒトラーの猜疑心からかばってくれる人がいなかったからである。


 著者は、後書きで、有名なゴーグルについて、実物を調べてみたが実用性はほぼ皆無であるとしたうえでこう続ける。

なぜ彼はこのゴーグルをいつも将官帽に装着していたのか。
その理由は、おそらく「誰が見ても一目でロンメルとわかるようにするため」「ロンメルがそこに存在することを周囲に知らしめるため」だったのではないかと思います。(p.401)

小柄な将軍の帽子に付いているゴーグルを一目見ただけで、部下の兵士たちは「ロンメルだ」「あの(伝説的な)ロンメルが我々と共に戦っている」と勇気をかき立てられ、やがて部隊全体の士気が向上して、困難な状況下でも頑強に戦える戦闘能力へと繋がっていきました。(p.402)

生涯一軍人としての演出であったと。


 なお、最近の流行なのか例によってパウル・カレルの著作を無視する方針をとっている。それもわざわざ

日本でも有名な、あるドイツ人著者の文献が、参考文献リストに挙がっていないのを見て、不審に思われた方もおられるかと思います。(p.405)

と持って回った言い方。 使わないなら何も書かずにおけばいいし、批判するならするできちんと名前を挙げればいいと思う。「砂漠のキツネ」*1ですよね。
最新の情報がきちんと取り入れられているし、カバーする範囲が広く、ロンメル像がよりはっきりしているので、どちらか一冊というなら山崎氏の著作をお薦めしますけどね。

*1:

砂漠のキツネ

砂漠のキツネ