k-takahashi's blog

個人雑記用

宿命のバルバロッサ作戦 〜独軍の敗因は何か?

宿命の「バルバロッサ作戦」 (WWセレクション)

宿命の「バルバロッサ作戦」 (WWセレクション)

ドイツ軍内部に存在した「敗因」としてまず挙げられるのは、開戦以前の段階における対ソ侵攻計画の立案と準備面での著しい不備と、開戦以後の段階における軍上層部の作戦指導に関する意思統一の欠如だった。
ところが、第二次世界大戦後のアメリカや西ドイツ、日本など、いわゆる「西側世界」の国ぐににおいては、ドイツ軍の対ソ侵攻作戦が失敗した理由として、しばしば「ヒトラーとドイツ陸軍の対立」という単純化された図式が語られてきた。(p.503)

とりわけ重要な意味を持っていたのは、西ドヴィナ川とドニエプル川の東岸に配置された予備の4個軍(第19、第20、第21、第22)を基幹とする「戦略的な第二防衛戦」の存在だった。この予備兵力がモスクワ街道とその南北に配置されていたことにより、ドイツ軍は参謀本部が事前計画で「作戦第一段階終了後」の行動と予定した「昇平達の休息と兵站整備」を全く行えない状況に陥り、独中央軍集団は七月初頭から九月末までの約三ヶ月間、スモレンスク周辺の戦域で「足踏み」状態に置かれる結果となった。
(中略)
独ソ開戦以前の段階で、兵力を縦深に配置した上で、西ドナヴィ川とドニエプル川の地峡部周辺を重要な決戦場と想定していたソ連赤軍参謀本部の対独戦への備えは、非常に的を射た判断であったと言えるのである。(pp.603-604)

山崎雅弘氏による独ソ戦の本としては、すでに「独ソ戦*1」があるが、本書は広義(タイフーンや赤軍反攻を含む)のバルバロッサ作戦を扱っている。


例によって「一つ前の戦争」である「第一次世界大戦」から書き起こされる。そして、ヴェルサイユ体制から疎外された独ソ両国は、「反英仏」「反ポーランド」という点から「敵の敵は味方」のロジックそのままに協力し合う。それが副題の「同じ乳母に育てられた」の意味である。
もちろん、本書で山崎氏が

ヒトラーは将来のドイツ経済を支える「生活圏(レーベンスラウム)」を東方のソ連領土、すなわち鉱物や穀物などの資源が豊富なウクライナの植民地化に求めており、対するスターリンも、バルト三国の併合やフィンランドルーマニア領の一部併合、そして第二次世界大戦後に出現した「鉄のカーテン」が物語るように、共産主義の社会体制に基づく勢力圏のヨーロッパへの拡張を目指していた。(pp.668-669)

と書くように、所詮は一時的な協力でしかなかった両国の関係は、二人の独裁者がその野望をあらわにするに従って必然的に対立することになった。

その対立が発火したのがバルバロッサであった。


冒頭に引用したように、従来説はヒトラーの問題を過剰に捉えているのではないかというのが本書を流れるトーンである。準備不足の最たるものが兵站問題だが、よくある冬期装備不足にとどまらず、こんな具体的データも出されている。

ホーとの第3装甲集団は、7月始めにミンスクからレーベリまでの120キロを前進する過程で、約100カ所の木造橋を壊してしまったが、その原因は主に戦車の重量にあった。(p.323)


あるいは、意思統一の不足を示す次のような、1941年12月の赤軍反攻時のエピソード。

ともに連携して危機に対処すべき時期にこうした軍司令官同士の諍いが深刻化した原因は、決裁者であるはずの陸軍総司令官ブラウヒッチュが、各司令官による「意思統一」の指針となるべき「防御に適した前線」を主体的に決められないことにあった。(p.556)


そして、危機に瀕して意志のズレへの対処を、この後に及んでの人事で行っていた。

対ソ戦が完全に行き詰まった1941年翌42年にかけての冬、ドイツ陸軍では総司令官一人と軍集団司令官三人(うち一人は後に別軍集団司令官に再任)、軍司令官四人が辞任または更迭により姿を消し、中央軍集団に所属する軍団長の半数以上が、冬期戦の最中に職務を退くこととなった。(p.578)

具体的には、総司令官(ブラウヒッチュ)、中央軍集団司令官(ボック)、北方軍集団司令官(レープ)、南方軍集団司令官(ライヒェナウ)、第9軍司令官(シュトラウス)、第2装甲軍司令官(グデーリアン)、第4装甲軍司令官(ヘープナー、キュブラー)。

個人的要望としての本書の書き方

独ソ戦の本を読むのは本書が初めて、という人はほとんどいないと思う。既に知られた本や、おなじ山崎氏の著作なら『独ソ戦史』の方を読むだろうから。

となると、本書は2冊目以降に読む本と考えるのが良さそうだ。ならば、『本書は、「東西冷戦時代の独ソ戦研究」とは異なる視点で新旧の史料・文献を一から読み直して、当時の事実関係とその解釈を全面的に組み立て直したものです。(p.627)』を序章か何かに持ってきて、本文も従来説との比較が分かりやすいような構成にした方がよかったのではないだろうか。


実際、読みながら自分が取ったメモは、後書きなどで山崎氏が指摘した部分と重なる部分が多かった。結局、そういう読み方になるのであるならば、それにみあった構成にして貰った方がありがたかったと思う。(一方で、そういう書き方が市場を小さくするのも事実ではある。それは分かる。)

時事ネタ絡みで

今月号の軍事研究で、フクシマ事故を独ソ戦初期になぞらえている記事があったが、事前準備不足で事態の急変について行けないというのは、歴史上何度もあったのだな、などと思った。
赤軍の場当たり対応は結果としてうまくいった、ヒトラーの死守命令も最初はうまくいった、などという記述も、一部のお偉いさんの言動に重ねると気が重くなる。


ヒトラースターリンについての記述を見ていると、しばしば「お前は中共か?」と思うのだが、本書の中にも幾つか。
1926年12月2日のこと

イギリスの新聞『マンチェスター・ガーディアン』紙が、ドイツ国軍がヴェルサイユ条約で厳禁された軍用航空機をソ連政府の許可を得てソ連領内で秘密裏に研究しているという、センセーショナルな告発記事を掲載したのである。
(中略)
国軍内部に創設された「特務班R」が、1923年以降、毎年7000万マルクをソ連との協力で食いつぶしてきたこと、国軍将校が偽造パスポートでソ連に入国して秘密訓練に参加していること、そして、ソ連領内でドイツ企業が生産した近世の軍需品をソ連から「輸入」する際の手口に至るまで、独ソの秘密軍事協力が事細かに述べ立てられた。
(中略)
第一次世界大戦終結から約8年が経過したこの時点では、各国とも敗戦国ドイツへの関与よりも自国の国内事情を優先する政策を採る必要性に迫られていた。(pp.62-63)

他に、ドイツから導入した技術や工作機械による軍拡の話とか。中共とかイランとかイラクなんかも連想しました。歴史から学ぶことの難しさか。

*1:

完全分析 独ソ戦史―死闘1416日の全貌 (学研M文庫)

完全分析 独ソ戦史―死闘1416日の全貌 (学研M文庫)