k-takahashi's blog

個人雑記用

日本の兵食史

ストライクアンドタクティカルマガジン増刊 日本の兵食史 2010年 01月号 [雑誌]

ストライクアンドタクティカルマガジン増刊 日本の兵食史 2010年 01月号 [雑誌]

ひょんな事から戦中に書かれた『軍用糧食に関する研究』というリポートが某所から発見され、そのリポートを幸運にも貸していただけることになったのです。このリポートは旧日本軍の糧食に関して調べていると必ず登場する川島四郎主計少将が中佐時代に書かれたもので、その情報量もさることながら、内容の凄さには本当に驚きました。(あとがきより)

このレポートを元に、主に大戦時期の日本の兵食について紹介したもの。一兵士の体験録ではなく、軍全体の視点があるのが面白い。
最初に少しだけ歴史的な話もあるが、基本的には大東亜戦争時のものである。


 とにかくどこを読んでも面白いのだが、いちいち理由が説明されている。以下抜き書き中心に色々と。

乾パンの味はそのままにして、乾パン一食分中に別に金平糖を10g混在させることにした。味に飽きることもさることながら、金平糖にも工夫を加え、白、赤、黄、青、緑に染めた。
その理由は、雪の砂漠、氷の平原など白い世界の中で白一色の金平糖を手に取ると金平糖まで雪氷の一片に見えて寒気を覚えてしまうように、白色が視覚により膨厭感を起こしてしまうからである。この着色金平糖は、一般将兵に大いに歓迎され、案外成功を納めた。(p.63)

パン自体に味を付けると飽きやすくなってしまう、そこでアクセントに甘み(金平糖)を入れたのだが、という流れからの話。美味しそうな料理というのは大事。

 代用缶として考案、試作されたのが、なんと缶の胴体が軽木、紙、セロファン、塗料によって作られたものだった。これに従来のブリキ製蓋底をそのまま巻き締めたもので(p.79)

一見、なんじゃこりゃですが、実は意外な長所があったそうだ。蓋と底を電極として電流を流すことで、内容物の温度を上昇させることができるため、非常に効率的に加熱殺菌が可能というのだ。エネルギー効率も良く、大型缶にも適用可能というなかなか優れものの技術だが、結局実用化はしなかったらしい。

この世界に先駆けて作られた総合ビタミン錠のおかげで、日本の戦闘糧食は世界に類を見ないコンパクトな携帯性と耐久性、さらに栄養的にも優れたものとなった。実際米軍は日本軍が携帯していた野戦口糧とこの「特殊栄養食」を捕獲し、調べてみたところ、その内容と完成度に非常に驚いたのだ。(p.110)

製造から消費までに時間がかかることからどうしてもビタミンが不足がちになる。そちらに重点を置くと、不味かったり、副作用が出たりしてしまう。そこで、ビタミンのみ別途補うという方向で作られたのが「特殊栄養食」。開発に携わった川島四郎の恩師が鈴木梅太郎博士であったためか、ビタミンへの研究は世界に先駆けたものだったそうだ。

様々な殺菌作用のある各種薬品を米飯に混ぜて炊飯し、その結果を調べてみたところ、当時淋病や梅毒など性病の薬として使われていた「ウロトロピン」という薬が好成績を残したのである。この薬を入れると、なんと確実に一週間は炊飯した飯が保存できるようになるのだ。いずれにせよ毎日食べる主食の飯であるので、体に害があってはいけないし、水炊きする淡泊な米飯の味は変化に敏感で、少しでも刺激や甘さ辛さが残ってもいけない。その点、このウロトロピンは水の分量に対して1万分の1〜2程度の量で効果があり、味もつかなければ悪いにおいもなく、飯の色に何らかわりがない。(p.129)

実際にはウロトロピンが加熱分解した際に発生するホルマリンの効果だったらしい。今では考えられない使い方だが、当時の基準だと食中毒の抑止効果に比して充分小さい害と評価されたようだ。なお、実際に使う際には「グルタミン酸ナトリウム」と一緒に混ぜた錠剤を配布したそうで、むしろ飯がうまくなったとか。


他にも、

  • 98式衛生濾水機、通称「石井式濾水機」というのがあり、この石井は例の731の石井中将のことなんですが、なかなか使い勝手のよい装置を作っていた。
  • 大東亜戦争時にすでに、ニコチン含有ガムが開発されていたのだが、この頃すでにニコチン中毒対策が問題になっていたのが分かる。
  • 当時「航空糧食」を作っていたのは日本だけ。不時着時用の非常食もよく工夫されていた。
  • その非常食だが、「落花生入り救命具」というのも考案されていた。(当時、特許も取ったそうだ)。落花生の殻に防水塗装を施し、これを救命具の中に詰めておくというもの。薬も混ぜておき、上陸後は燃料にもなるというアイディアで、これは面白いと思った。


 最後の方に、昭和12年〜13年に行われた大規模なアンケートの結果が紹介されている。60万枚送ったのに返ってきたのは2万枚だけというところにも苦労が偲ばれる。この結果もまた色々と面白く、

  • 追送希望品のトップは、生魚、牛肉、青菜、たくあん、味噌汁といったところ。日本人だなあ。
  • 甘味類では羊羹が圧倒的に多い。統計全部を見ても4000票以上を集めたのは羊羹だけだったとか。
  • 嫌いなものという項目もあり、トップが南京米(外地から輸入した米)。とにかく米へのこだわりは強いようだ。他に、鰹が不評なのが意外。当時の技術的問題なのかな。
  • 食料品以外も参考事項として調べたそうだ。で、そこが泣かせる。

 あえて調査事項としてあげてはいないが、備考欄に記入された欲求にあるのが、内地からの音信を求めるもので、特に婦人からの手紙をもらいたいとするもの、若き婦人より手紙をもらいたいとするもの、少年、少女より、もらいたいとするものなどあり、また慰問文や激励文も前記同様婦人よりもらいたいとする者も多く、次に写真を求める者、特に婦人の写真や美人の写真という者、若き女性の写真を欲する者などあり、戦地において将兵の真理の一端をうかがい知ることができた。(p.216)

こういうところは、世界どこも変わらないんだな、と。


 旧軍も、別に糧食を軽視していたわけではなかったというのが分かる一冊。戦場が、大陸に、満州に、南方に、と広がるにつれて課題がどんどん増えていき、それになんとか対応しようと苦労している様子などもうかがえる。専門の雑誌を出したりもしている。
 もっとも、軍全体として糧食を含めたロジスティックスにどれくらい重点を置いていたかというのは別の問題だし、せっかく色々と工夫して開発したとしても、それを必要なだけ確保し、前線に送り届けるという観点から見たら、やはり失敗だったんだろうな。パイロット用の強壮薬とかの工夫が米軍よりも進んでいたというのも、逆に言えば米軍側はそれをローテーションシステムや気密構造で解決してしまっていたからだとも言える。