k-takahashi's blog

個人雑記用

マスクを脱いだツタンカーメン 後編 〜死因はマラリアと怪我の複合か

 原題は "King Tut Unwriapped: Life and Death"。先日言及した番組の後編。


 今回ザヒ・ハワス博士が解明しようとする謎は3つ。子供は居たのか、どん統治だったのか、死因は。


 まず子供問題。
記録には子供はなかったことになっている。加えて、王妃のアンケセナーメンのミイラも見つかっていない。ここで博士が目を付けたのがツタンカーメンの墓に眠っていた2体の嬰児のミイラ。カーターが発見したものだが、調査してみると損傷が激しい。それでも再調査は実施してみる。彼らがツタンカーメンの子供である可能性があるからである。
 まず、ミイラからマルファン症候群の形跡を発見する。しかし、ツタンカーメンにはその痕跡はない。とすれば、もし同じ症状を発症している王妃のミイラがあれば、それがアンケセナーメンの可能性が高いことになる。だが、調査の結果それは発見されず。
結局最後は苦心の末、DNA鑑定に成功。2体の内1体がツタンカーメンの「娘」であることが判明する。そして、7ヶ月の早産(死産)だったことも。


 統治については、従来は廷臣に頼りきりとされていたが、それは本当か。
今回の調査で当時の史料を再点検してみた。その一つでツタンカーメン玉座の表側の目立つところにツタンカーメン、背後の目立たないところにツタンクアテンと書かれていることが判明、ツタンカーメンが父王の始めた宗教改革を取りやめていることが判明した。これだけだと、自分の意志かどうかは分からないが、さらに、軍を率いていたことを示す絵や文章もみつかり、軍事指導者としての役割を果たしていたことが判明。従来説よりも積極的だったのではないか、という結論になっていた。


 さて、死因。
 軍事指導者として活動していたとすると、死期に近い時期にヒッタイトとの戦闘があったこととの関連が疑われる。ミイラの調査からも防腐処理が2度行われていることが分かっており、戦場の応急処理と本処理の2回と考えるとつじつまが合う。
しかし、ツタンカーメンのミイラをより詳細に調べると、左足の指が酷く損なわれており、それは死の2年ほど前と推定される。その症状は杖がなければ動けないほどだったと推測される。
さらに、DNAの詳細調査により、マラリアに感染していたことも明らかとなった。
 結論としては、死因は元々の虚弱体質、マラリア感染、そしてよく知られている骨折、が複合したと考えてよさそうである。


 当然ながら、現物(ミイラ、棺、碑文、など)を大量に見られるのが嬉しい番組。結論だけなら、たぶん文字で読んだ方が分かりやすいと思う。