k-takahashi's blog

個人雑記用

日本SF精神史 〜昔からSF者は捻くれ者だったんだなあ

日本SF精神史----幕末・明治から戦後まで (河出ブックス)

日本SF精神史----幕末・明治から戦後まで (河出ブックス)

幕末期の架空史から、明治の未来小説・冒険小説、大正・昭和初期の探偵小説・科学小説、そして戦後の現代SF第一世代まで、近代日本が培ってきたSF的想像力の系譜を、現在につながる生命あるものとして描く

幕末から戦後しばらくに至るまでの日本SFを、一つの流れとしてとらえた一冊。明治期の啓蒙小説のSF性と、そのときの「捻くれ具合」が戦前・戦中・戦後を経て今に続いているというところが、私にとっては一番面白く感じられた部分だった。


 明治初期には、文明開化の流れとともに、近代科学や国際的な見方といったものも流れ込んできており、その中でSF的なものも色々あったのが分かる。文学史的にどの程度妥当かどうかは分からないが、明治期の文豪がしばしばSF的小説に言及しているのも面白い。

或は云く小説は詩なり而れども其境域は決して世人の云う所の如く狭嗌なるものにあらざるなり
(中略)
報知異聞は今、僅に其の初篇の出でたるのみなれば未だ其全局を覗ふに由なしと雖も其詩天地の間に於て一版図を開くべきは余の毫も疑はざる所なり(p.72)

森鴎外矢野龍渓の「浮城物語」に寄せた序文だそうです。


 明治期には幾つか、架空世界ものの小説があり、それはしばしば政治的文脈で体制批判を伴うものであった。ユートピア的なものを描くことでそれとは異なる現状を批判するものもあれば、暗い未来を描くことでそれを避ける施策をとらない政府を批判するものもある。空想的なものであるがゆえに、そこには一捻り、二捻りするものも多くあり、検閲を避ける役割を果たすこともあったようだ。
 この、「捻る」姿勢は、戦中戦後も続いており、それがしばしば意図からずれた論争になってしまうこともあったようだ。

SFでは、しばしば反語的な表現によって作者自身が信じておらず、また望んでもいない世界を描くことがあるが、日本SFは、さらに冗談とも本気ともつかない表現で思想を相対化し、試行の硬直化を回避する手法が好まれた。そうした感覚が理解できるかどうかが、日本SFを受け入れられるかどうかの一つの試金石だった。(p.204)

このような「日本(風土)賛美」ゆえに、当時、『日本沈没』を保守的で復古的な思想で書かれたものと見なした識者も、少なくなかった。SFのアイロニカルな手法は、不慣れな読者には誤読を誘発しやすく、的外れの非難を惹起しやすい。実はこの前年、田中角栄は『日本列島改造論』を発表し、開発という名の風土破壊が本格化しつつあった。
 興味深いのは、この時期、伝統的な文化体系に属しながらも、革新的な思想の持ち主だと自負していた進歩的文化人の多くが、往々にしてSFやサブカルチャーが持つ批判精神を読み落としていたという事実だ。彼らは、自分たちの主張や思想とも相通じる内容を持っている対象を、その表現主要への偏見から誤認し、否定した。あるいは、自らの思想と近似したものを感じながら、自分とは異なる方法を用いて容易(に見えたのだろう)に表出するものとして、憎悪した。(pp.217-218)


 あとは、日露戦争直前に書かれた空想小説では、日露戦争で日本が敗れる予想をした小説が多かったという指摘が面白かった。別に悲観主義ではなく、「そうならないようにしろ」という政治主張だったそうなんですが。


 そうそう、一番愉快だったところも引用。明治30年頃に新聞連載された小説『日の出島』について。

『日の出島』にはユーモラスな場面も多いのだが、私がいちばん好きなのは、財界人が料亭で酒を酌み交わしながら「芸者を呼ぶなんてもう古い」といって科学者を呼び、化学実験をみせてもらって盛り上がるというエピソードだ。科学者の実験がみたいなら、そもそも会合を料亭で開く必要はなく、弦齋の感覚はちょっとズレているとは思うものの、しかしいまだに料亭やクラブに出入りして喜んでいる政治家や事業家よりは、ずっといいズレ方だと思う。(p.97)