正直なところ、その辺の記載については、綺麗事な自己弁護を聞かされている気分。もうちょっと責任感じてもいいんじゃないのかな。
一番最後のアキバ論のところは、実際に自分たちが年を取ったことで見えてきたアキバらしさの部分とかを前向きに見ていて好感が持てた。ならば、ゲームを語る楽しさをこそ追求するべきで、「クソゲー」なんて看板も捨ててしまった方がよいんじゃないのかな、とも。
できの悪いゲームや問題のあるゲームを、その悪い部分にあえて突っ込むことで面白い記事を作るという方法論は、と学会的な方法論にも通じるもので、批評性を持ち得るものではあった。ただ、実際には、憂さ晴らしにはなっても先へは進めなかったわけだ。
著者達自身が今でも楽しんでいるのは分かるのだけれど、今となっては古くさいやりかた。
本書内だと、ベセスダ(オブリビオンやフォールアウトで有名)のゲームの面白さや新しさを語るのに、まず他ゲームを腐している部分とかでとくに強く感じた。昔と同じで、まあ芸風と言えば芸風だけれどもね。
著者の一人の多根清史氏が別の本*1とか出した理由は、別の表現を求めたからなのかもしれない。
*1: