k-takahashi's blog

個人雑記用

複雑さと共に暮らす 〜「複雑さとの共生」と「シグニファイア」

複雑さと共に暮らす―デザインの挑戦

複雑さと共に暮らす―デザインの挑戦

『誰のためのデザイン』*1で知られる、D・ノーマンの最新刊 "Living with Complexity"の翻訳。昨年出た本が既に翻訳されている。ありがたい話だ。


ノーマンと言えば「人間中心設計アプローチ」で知られ、分かりやすいデザインの重要性を訴えた人物。また、「アフォーダンス」という概念を広めたことも重要な功績である。
さて、訳者によれば、本書のポイントは、以下の3点となる。

  • 複雑さとの共生
  • シグニファイア
  • エクスペリエンス

複雑さとの共生

最初の「複雑さとの共生」というのは、字面を見ただけだと驚くかもしれない。「簡単にしろ」と言っていたのはあなたではなかったか?という第一印象は確かに持つだろう。しかし、読後の感想として、私は「ノーマンの主張の根底は変わっていない」と思った。


序文ではこんなことが書かれている。

序文 複雑さと混乱を区別
「なぜテクノロジーはこんなに複雑なんですか?」と人は絶えず私に尋ねる。「なぜものごとは簡単にならないのか?」なぜだろう。それは人生が複雑だからである。
(中略)
複雑さとわかりにくさとを区別しておく。「複雑さ」という言葉は、世界の状態を表すために用いる。「分かりにくい」という言葉は、心の状態を表す。

陽に書かれてはいないが、おそらくは「簡単さ」というのを安易に捉えた結果、複雑なモノを簡単であるかのように偽装するケースを多く目にしたのだろう。問題解決をするにあたり、その問題の本質的な難しさ(複雑さ)を隠してしまえば解決することはできない。そういうことはするな、ということなのだと思う。

それは以下の記述からも伺える。

何十年も前、私は複雑さに対する強烈な反対派であり、簡素化を強く主張していた。しかし、時間とともに、敵は複雑さで無いことに気づいた。敵はわかりにくさと、その結果生まれる矛盾であった。さらに、解決方法はよく言われる方策、つまり、制御、ディスプレイ、機能を少なくすると言う簡素化にあるのではなく、むしろ、一貫性と理解にあった。(p.297)

複雑であるという現実を否定しても解決はできない。複雑さをいかに扱うか、それを「分かりにくさ」にしないためにはどうすればいいか。それこそがデザイナーが考えることなのである。


シグニファイア

本書で、ノーマンはシグニファイアという概念を導入している。

私はアフォーダンスとシグニファイアを区別することをデザイン界に強く要請する。多くの場合、アフォーダンスという言葉は使わない方が良い。なぜならデザイナーはいつも知覚されるモノだけを気に掛けているからであり、それはシグニファイアなのだ。知覚されたアフォーダンスとシグニファイアはコミュニケーションの方法であることに留意されたい。適切なシグニファイアを選択する科学と技法は重要な重要なデザインスキルだ。すぐれたデザインにはシグニファイアがあって知覚され、情報を伝えるだけでなく、美的に好ましく、製品の他の部分と調和している。(p.253)

アフォーダンスという言葉を使うなとまで言っているのだが、別にそれはアフォーダンスが悪いという意味ではない。

アフォーダンスは重要である。行動を可能にする世界の一部だからだ。デザイナーは、彼らがデザインするモノやシステムに適切なアフォーダンスがあることを確実にするという責任がある。しかし、それらが気づかれなかったり知覚されなかったとしたら、目的を果たせなかったということになる。デザイナーはシグニファイアを通じて出来る行動の範囲を伝えなければならない。シグニファイアこそが有効なコミュニケーションには重要なのである。(p.253)

アフォーダンスはあって当たり前という考え方なのかなと思ったが、実はもっと強い意味が込められていた。


アフォーダンスとシグニファイアの違いは次の「負のシグニファイア」の例が分かりやすいと思う。ノーマンが例としてあげているのは、公園の入り口にあるポールである。実はこのポールはゴムチューブで出来ており、車を止める能力はない。ゆえにこれはアフォーダンス的には何の効果もないのだが、車両を遠ざけるというシグニファイアになっている。(p.266)


アフォーダンスは特定の行動しかできないようにすることで、誤動作を防ぐことができる。『誰のためのデザイン』では、押すのか引くのか分からないドアと、押すことしか出来ないドアの例が載っていたのを憶えている。
しかし、アフォーダンスは正解が分かっている場合にのみ有効である。複雑さと向き合うとき、正解が分かっているとは限らない。そこではユーザは問題と向き合わなくてはならない。システムから示される正解はないのである。そのとき、「どうなっているのか」を分かりやすく示すのがシグニファイアである。

上記の「負のシグニファイア」は非常に重要な例だと思う。もしかすると公園に車を入れなくてはいけないのかもしれない、ということが想定されているのだ。
私はこれを読んだときに「ライト、点いていますか」*2の逸話を思い出した。(長いので紹介は省略。) あの看板がシグニファイアに相当するんだな、と。あるいは、シグニファイアが必要だと考えれば、他の方法もあり得るだろう(例えば、他の車がライトを点滅させることでも良いはずだ)。


アフォーダンスの問題点は、レッシグの「アーキテクチャの支配」の問題にも通ずる。あれも、問題となりそうな行動を許さない、というアフォーダンス的な構造を持っていて、そしてそれが真の問題の隠蔽に繋がっているところが問題視されていたのだと思っている。


問題は複雑だ。それは事実だ。認めよう。
その複雑さを否定(隠蔽)しても問題は解決できない。問題を解決するためには、ユーザとデザイナーは協力(コミュニケーション)しなければならない。
ユーザとコミュニケートするための重要な手段がシグニファイアだ、ということなのだ。

デザイナーとユーザのコミュニケーション

デザイナーとユーザの意図が食い違う面白い例が紹介されていた。公園や大学のキャンパスなどで、本来の通路とは全然違うところを人が頻繁に通っているのをよく見かける。

講演や大学のキャンパスの中を歩くと、きちんとした歩道や小道に囲まれたところに、人の勝手な踏み跡が見出される。
踏み跡はシグニファイアであって、人の望みはブランナーの構想とは合致しないことの明確な証拠である。
望みのラインが元の計画を台無しにしたときは、そのデザインが人のニーズには合っていないというサインなのだ。(p.140)

デザイナーが想定した通路はユーザに支持して貰えていませんよ、ということになる。
で、ここでどうするか。アフォーダンス的発想なら、柵を作ったり道以外のところを歩きにくくしたりすることになるが、それでいいのか? 通路のデザインが間違っているのではないか? もし、本当にその通路を通るべきならば、その理由をユーザに分かるようにシグニファイアとして示すべきではないか、というのが本書での問いかけである。


そういった際に、デザイナーが守るべき原則は

デザイナーのための規則
 基本的な要件は、モノを理解可能にするということだ。すぐれた概念モデルは必須ではあるが、適切にコミュニケーションが行われないと役に立つとは言えない。デザインの道具は、概念モデル、シグニファイア、組織化された構造、自動化とモジュール化だ。その上に、デザインチームは学習の道具として、マニュアルとヘルプシステムを提供する必要がある。(p.249)

引用部はまとめの部分なので、個々の単語の意味は本書でご確認を。

エクスペリエンス

良いサービスを提供するためには、ユーザのエクスペリエンスを適切にデザインする必要がある。
本書の第7章では、「待ち行列」を題材にして面白い解説を行っている。
まず原則が以下の6つ

  • 概念モデルを提供すること
  • 待つことが適切であると受け取れるようにすること
  • 期待に応える、あるいはそれを上回って応えること
  • 人々の心を捉えておくこと
  • 公平であること
  • 終わりと始まりを強調すること

これらが、レジ、宅配ピザ、ドライブスルー、病院、ディズニーランド、などでどのように扱われているのかが解説される。プログラマに分かりやすい「二重バッファ」という言葉が、実際の行列にどのように適用されているかとか上手い説明だと思う。
で、最後に「記憶は現実よりも重要である」とまとめて、エクスペリスデザインの重要性を再度強調している。

*1:

誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論 (新曜社認知科学選書)

誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論 (新曜社認知科学選書)

*2:

ライト、ついてますか―問題発見の人間学

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