k-takahashi's blog

個人雑記用

萌え絵で巡る! クトゥルー世界の歩き方

萌え絵で巡る! クトゥルー世界の歩き方

萌え絵で巡る! クトゥルー世界の歩き方

コミックや小説、ゲームの分野でクトゥルー神話作品に関わってきたクリエイターの<お祭り>を目指したのです。
(あとがき、より)

ということで、2009年に出た『萌え萌えクトゥルー神話事典』*1の続編的な位置づけの一冊。ラブクラフト・カントリーと書物のガイドブックという体裁になっている。
絵の方は、監修者が取材旅行に出かけた際の近影と思われるこの絵

が気に入りました。(他は、あまり萌え絵界隈は詳しくないのでおいておきます。)
旅行ガイド部分は、ボストン、アーカムプロヴィデンスのページのように書き込んでくれた方が嬉しかったので、そちらは続編に期待。(この辺りのページだけ、写真や解説の充実度が違うんですよ。)
萌え絵はともかく、文書部分はよくまとまっているし、森瀬氏が集めた新情報も載っています。


萌え絵に興味のない人でも、第3章資料編は面白いのでお薦め。
クトゥルー神話の楽しみ方という見方から、萌えとクトゥルー神話の関係、クトゥルー脳、今日からなれる探索者、と話が進んできます。
クトゥルー脳」は何でもかんでもクトゥルーネタに繋げてしまう性癖のこと。そこから一歩進んで自分で調べ始めるのが、最後の「今日からなれる」。これは資料を調べたり、実際に行ってみたりという楽しみ方なのですが、その一環として「仮想探索者」というのを想定します。そして、TRPG版がこの「仮想探索者」だと位置づける。面白い繋げ方。

クトゥルーと萌え

クトゥルーと萌えについては、こんな説明がある。

萌えの面白い点は、キャラクターが背景から切り離される点です。全く違う物語、世界観のキャラクター同士が、たとえば、ネコミミツンデレといった一点だけで集められ、そこに繋がりが生まれるわけです。
(中略)
このように物語も世界観も越えて全く関係の無いキャラが記号によって、つながってゆくというのは、実はクトゥルー神話の根幹だったりもします。(p.138)

作品の垣根を越え、人間と非人間の垣根を越え、あらゆるものを貪欲にキャラクター化してゆく「萌え」が、クトゥルー神話を呑み込んだ。あるいは、固有名詞の記号を通じて、あらゆる時代、ジャンルに越境してゆく「クトゥルー神話」が「萌え作品」を侵食した。どちらでもかまいませんが、こうしてみれば、「クトゥルー神話」と日本の「萌え文化」という、2つの連鎖する記号が出会ったのは、ほとんど必然だったと言えるのです。(p.139)

個人的には深く納得。

誤植?

グハーン断章の翻訳が1919年に出たと書いてあるのだが、ウィンドロップがアフリカから持ち帰ったのが1934年なので、辻褄が合わない。ラムレイの本は手元にないので確認できず。

*1:

萌え萌えクトゥルー神話事典

萌え萌えクトゥルー神話事典