k-takahashi's blog

個人雑記用

生物から生命へ 〜人工生命で何を研究しているのか?

生物から生命へ―共進化で読みとく (ちくま新書)

生物から生命へ―共進化で読みとく (ちくま新書)

人工生命の研究者である名古屋大学の有田隆也教授による、「生命とは何か」という一冊。
タイトルの「生物から生命へ」というのは、

生物とはモノであるのに対して、生きているというのはコトである (p.11)

という問題意識に繋がる。この意識から、生物というモノの話ではなく、生命(生きる)というコトの話をしたいという考え方に繋がり、モノを切り離す手法として人工生命という方法ということになるのだろう。
もう一つのキーワードが「共進化」。通常は、複数の生物が互いに利用し合ったりすることを言うが、本書ではもう少し広い範囲で捉えている。同一種内の複数の形質同士が利用し合うことや、生命と環境との間の相互利用もこの「共進化」であると考え、この「共進化」が生命のプロセスであるとしている。


あとは、人工生命という方法と、この共進化の説明がずっと続く。私は人工生命にはあまり詳しくないのだが、この辺の説明がなかなか面白かった。

病気とヒト

第2章では病気とヒトの関わり。致死性の病原菌は宿主を殺してしまうので進化的には淘汰されてしまう、という話があるが、あれをもっと緻密に説明している。
上記の話だけだともっともな話に聞こえるが、ここには見落としがあると筆者は言う。

病原体にとってはヒトに対する毒性は弱ければ弱い方がよいということであれば、世の中、ヒトと病原体が仲良く共存して万事OKということになるはずだ。だが、そうは問屋が卸さない。この話のどこに見落としがあるのかというと、病原体間の生存競争、病原体は他の病原体と競争して生き残らねばならないという点である。病原体だって、厳しい毎日を過ごしている。同じ宿主内で、より活動力の強い病原体に駆逐されてしまう恐れが絶えずあるということだ。その面だけを考えると、今度は、毒性が強くなる方向に選択圧が働くということになる。(p.62)

言われてみればナルホドという話だ。では、実際にはどうなのだろうか。この章ではとりあえず実際の病気のデータをもとに簡単に説明しているが、後の章では筆者の専門である人工生命で具体的に結果を導いてみせる。
もちろん、人工生命には常に「所望の結果が出るように作り上げている」という批判があり、実際のところ筆者のアプローチがそういった批判に対してどの程度の反論力を持っているのかは分からないのだが、でも、様々なアプローチは読んでいるだけで面白い。

文化と生命の共進化

私が本書で一番面白いと感じたのは、「文化」と「生命」の共進化という考え方の部分だった。
まず例としてあげられているのがミルクの消化の話。日本人の大人の多くが牛乳を飲むとおなかの調子が悪くなる。これはラクトース(乳糖)を分解する酵素ラクターゼ)の活性が下がるためである。世界的にはミルクの飲めない大人は多数派なのだが、一方で一部の文化圏では大人になってもラクターゼの活性が下がらない。これはある遺伝子が変異したことによって獲得されたもの。
実はこの遺伝的差異は、文化の差に起因しているのだそうだ。

酪農の文化が何千年も継続すると、大人になってもラクトースを吸収できる方が(栄養が不足しがちな環境であればよけいに)適応的なので、そのことに関する遺伝子が集団中に広まるのである。言い換えるならば、長年にわたって継続して行う行為が、自らの進化の方向性に影響する文化的環境となり、結果として、自らの遺伝的情報の構成を変えるのである。(p.145)

正直、一読したときには「本当か?」と思った。実際、ここはあまり確固たるものではないようでもある。特に、「生物進化がそんなに急激に進むのか?」というのは私も最初に考えたことであり、筆者もケヴィン・レイランドの意見(遅いとは限らない)を引用する形での回答にとどめている。


ただ、この先が面白い。
筆者は、生物進化と文化進化が相反する場合はどうなるか、という方向に思考を進める。繁殖に不利になるような文化的進化は広がるかという問題である。ここで、生物進化の遺伝子というか形質に相当するものとして「ミーム」を使う。
そんなミームが広がるのかというと、実は生物遺伝子にとって不利なミームは案外世の中に飛び回っているというのが筆者の考え。そして、それがソーシャルメディアによって可視化されているかもしれないと言っている。これ、研究テーマとして面白そうだ。

そして、ヒトの進化は止まったのか?という問題について、文化進化と生物進化の共進化という点からこんなことを書いている。

どうやら、ヒトは進化のアクセルを踏んだようだ。
では、どうやってアクセルを踏んだのだろうか。その理由は、環境の多様性や変化が激しくて、それに適応するために、どんどん変わらざるを得なかったのではないかと指摘されている。(p.158)

言語と生命の共進化

第7章は25ページほどの短い章だが、ここで言語と生命の共進化が語られている。なんと、言語が脳を進化させたという説である。
チョムスキー普遍文法を受け入れたとして、では、それはどうやって脳に遺伝的に組み込まれたのか、という問題があるが、それに対する回答となっている。
突然変異で高度な言語能力を有する個体ができたとしても、言語はコミュニケートする相手が無ければ価値がない。それはどうやって広まるのか。それに対して、面白いアイディアを提示していた。(自分用にメモを残すと、「TORGアクシオムの変化の仕方を想像した」となる。)
まだ着手したばかりだそうで、今後上手くいくのかどうか楽しみなアプローチだと思う。