k-takahashi's blog

個人雑記用

ゴジラ 99の真実

なつこんで池田憲章先生が「出します」と言っていた本。本当に7月末に出ていた。もの凄いスケジュールで書いたと言っていたので、まず、そこにビックリ。


この手の本には、話題合わせの間に合わせ本というのも少なくないが、もちろん、池田先生がそんな手抜きをするはずもない。

1976年頃、竹内氏はよく言っていた。
「資料を調べ、徹底的に脚本や文章をよく読んでから、本人に取材し、何度もチェックしてもらって、文章化する。それが第一次資料だ。又聞きや記事の引用は第二次資料でこれはあまり価値が無い。池田くん、僕らがやるのは第一次資料の作成だ。さあ、脚本やプレスシートを持っていって、読んでくれ。本多監督に取材するのは、3日後だぞ!」
それが後世に残す仕事なんだ、とよく語られた。今回、この本の企画を徳間書店編集部から頼まれたとき、押し入れに突っ込んでいた取材メモや録音テープを引っ張りだし、できるだけ原典の証言に戻ることにした。
(まえがき、より)

私には、本書の中身がどれくらい正確で、上記の池田先生の意図がどのくらい実現されているのかを評価する能力はないのだけれど、でも、読んでいて面白い。


モスラ(蛾)の鳴き声の話題、ゴジラ当時は「巨大怪獣を見る」というのが役者にも分からなくて(やったことも見たことも無いのだからしょうがない)大変だったとか、当時の一発撮りの技術とリカバリーとか、ゴジラに耳があるのは時計塔の音にゴジラが反応するシーンがあったからとか。あとは、ゴジラの銀座のシーン。みんな知っている場所だから手抜きをするとすぐばれるとか確かに大変だ。


量産時代の技術的展開も、ちょっと未整理だが面白いエピソードが書かれていて、各映画でどういう技術が新規導入されたかといったことが書かれている。


70年代に入ってからの苦境のことも書かれている。

ゴジラ対ヘドラ』や『ゴジラガイガン』の頃の現場の実情を聞いた。
「あの頃はね、特美の小道具倉庫が東宝スタジオの管理下に入ってて、脚本に戦車10台、ジェット戦闘機15機と記述があるので、中野昭慶特撮監督がミニチュア倉庫に申請して、借用に行く。ところが戦車は1台10万円、ジェット機は20万円、払ってくれと言うわけ。独立採算でそちらは別会社ですからと。中野さんがいくら言っても渡さない。中野さんは顔をしかめて、脚本の自衛隊の部分に×点をして消していく。
(p.206)

町が出てこない、自衛隊も出てこない怪獣映画。でも、別にそういう映画を作りたかったわけではない。東宝がそういう映画を作らせなかったからだ、ということが分かるエピソード。


その後、『日本沈没』で特撮映画が息を吹き返し、ゴジラも「メカゴジラ」で再生に成功、というあたりまでのことが書かれている。


でも、実は一番驚いたのが、池田憲章氏の書き下ろし単著はこれが初めてだということだったりする。