k-takahashi's blog

個人雑記用

帝国軍人 公文書、私文書、オーラルヒストリーからみる

 

昭和の終わり頃、 『歴史と人物』という雑誌の編集で協力していた戸高一成氏と大木毅氏。当時はまだ存命であった、大東亜戦争時代の佐官クラスの方々にも多く取材(執筆依頼、資料整理、などなど)を行っていた。そうした見聞を資料として残したいと思い、また、そうした交流の中から見えてくる様々なエピソードを元に、歴史資料を残すこと、歴史資料を読み解くことの重要さと難しさを語っておきたい。そうした意識によるお二人の対談集。

 

当時は公表出来なかったエピソードというのもある(本人が御存命中は難しいというのが多い。逆に遺族が嫌がって公開を止めた資料とかもある)、修正や甚だしい場合は改竄が行われていたケースもある、口裏合わせというか当事者同士が話をして整理されてしまった場合もある、ウソはつかないが全てを語っていたわけではない場合もある。

 

お二人の感じた印象についても書かれている。「作戦系の人と情報系の人の違い」「官僚としての軍人」「作戦系の人達は都合の悪い話を聞きたがらない」「敗戦の経験のなかった軍人は負け方が分からなかった。前例のないことが苦手な日本人」「陸軍はヤマタノオロチ、海軍は双頭の蛇」

そうした印象は、もちろん、操作されていたり偏見の元になったりするリスクもあるが、資料を読み解く重要なヒントになったりもする。

 

「直接そう書いてあるわけではないけれど」という分析が面白い。1940年に海軍が出していた出師準備の命令があり、もちろん開戦準備と書いてはいないが状況的にそれ以外の意図はあり得ないとか、ミッドウェイのときの赤城の戦闘詳報に停船したことが書かれていてこれも敵パイロットをピックアップする以外の理由は考えにくいが捕虜の扱いがその後書かれていないことから捕虜虐待があったことを示すとか。

 

記載の正確性は若干気になるところもあるが、人物注のところが結構面白かったりするし、あとは上述の通りに資料やオーラルの重要性と危険性の話も出てくる。この辺は歴史研究の読み方の注意でもある。(資料にこう書いてある!とか、誰々はこう語った!とかに飛びつくのが危険な理由。)