k-takahashi's blog

個人雑記用

銀河帝国は必要か

 アシモフの著作(銀河帝国シリーズ、ロボットシリーズ)をだしに、ロボットの人権とか人類の決定権とかについて語っている。おおざっぱに言えば「第零法則をどう評価するか」という話。

 

色々と面白い話題が書かれているのだが、全体としてはアシモフの話をしたいのか、ロボットの話をしたいのかがちょっとぼけた印象を受けた。

個々の話題は面白い。ちょっと抜き出すと、

ロボットの可能性について考えることは、宇宙探査、宇宙開発、人類文明の宇宙進出の問題について考えることにつながってくる(No.492)

人間とは異質な「他者」としての役割を、異星人に担ってもらう必要がなくなってきた(No.979)

「人類」が何かを決めるのは、人間でなくロボットであり、しかも「人類」の正しい在り方はロボットに依存しないものでなければならない」(No.1441)

「人間の何たるかを決めるのは人間自身でもロボットでもなく、客観的真理としての心理歴史学的法則である」というアクロバティックな命題(No.1450)

 道徳的主体である一方で道徳的配慮の対象とは見なされないものとは、ある解釈の下での自律型ロボットです。(No.1834)

 

比喩の手段として用いられてきたエイリアン(異星人)の役割はロボットでも扱えるという考えはもう普通で、特に差別ネタだとむしろロボットの方が使いやすい面が多い。なのでその分エイリアンの話は減っている。

 

ポストヒューマンを正当化する理屈の一つとして宇宙進出があり、ヒトではないヒトが出てくる。その時ヒトではないヒトの一つはロボットだという言い方もできる。人類を変異させていったら、それはヒトか?という話と、ヒトに近づいてくるヒト型の存在はいつヒト扱いしなくてはならないのかという話はいつか繋がる。

 

ということで、拡大したヒトの倫理を考えるときに、ロボットや宇宙は一つの示唆になってくるというような話。ただ、その思考がアシモフの枠に抑えてあるのが、微妙に勿体ないかなと思う。
もちろん、これはとっかかりでその先に色々な話を進めているのだろう