k-takahashi's blog

個人雑記用

日本インテリジェンス史 旧日本軍から公安、内調、NSCまで

 

情報といっても色々なものがあるが、通常のインフォメーションに対して、インテリジェンスというのは政策立案や実施のために役立てる情報という位置づけになる。一応そういう意識(というか知識)はあったものの、従来(本書の場合旧軍の頃から)は、自組織内のことしか考えておらず、国家機関でありながら国家のために収集・分析をするという意識や活動が乏しかった。その経緯と改善をまとめている。

 

①なぜ日本では戦後、インテリジェンス・コミュニティが拡大せず、他国並みに発展しなかったのか
② 果たして戦前の極端な縦割りの情報運用がそのまま受け継がれたのか、もしくはそれが改善されたのか(No.46)

といったことが着目点となる。

 

実際、それは適切とは言い難い状態だったのだが、理由は、組織の縦割りによるものであるし、インテリジェンス・コミュニティ設立を妨害しようとする勢力の活動によるものでもあった。

戦後は、基本的に警察主導で動いており、内閣や自衛隊内の組織も実質警察に牛耳られていた。それはやむを得ない点もあったが、国家活動のためにという観点では不充分な点も多く(警察がカバーできない範囲もあるし、法的な準備の先送りを重ねてきたこともある)ずっと課題だった。一例としては、裁判の問題があり、警察に軍事秘密や外交秘密を守るという意識はなく、警察主導ではそもそも防衛・外交情報を守れないことになる。

 

冷戦後にようやくコミュニティ再編の動きが本格化するが、この辺は偵察衛星周りを例に調整・設置・実行の難航ぶりが書かれている。信頼醸成がないままで全体を再編すると言われたら組織や権限を取り上げられる懸念が先行するというのも無理ない話ではある。

 

現在に至る重要なステップは、第二次安倍内閣時代の改革。内閣情報調査室安倍総理、北村内閣情報官らによって、特定秘密保護法が導入され国際テロ情報収集ユニットが設置された。

もちろん課題は残っているのだが、ここまでは改善したということになる。

 

本書では、最初の2つの観点については、こうまとめている。

①については、吉田吉田政権時代の頓挫と、その後の政権がインテリジェンス改革に消極的であったこと、そして冷戦期は独自の外交・安全保障を追求する必要性がなかったため、国として情報が必要とならなかったためだと指摘できる。 

②の縦割りの弊害の問題については、戦後しばらく引きずった印象がある。しかし冷戦後に国家レベルで独自の外交・安全保障をまとめる必要性が生じたため、インテリジェンスを掌る内調に手が加えられた。また運用面においては縦割りの緩和が徐々に進んだ。明確な契機はNSC/NSSの設置であり、内調はNSC/NSSとインテリジェンス・コミュニティを連携させるような運用を通じて、コミュニティの一体感を高めたのである。また第二次安倍政権時代の官邸官僚の台頭は、それまでの「省庁利益代弁者」としての官僚像を払拭することになったとも指摘できる。(No.2972)