k-takahashi's blog

個人雑記用

SFマガジン 2008年1月号

S-Fマガジン 2008年 01月号 [雑誌]

S-Fマガジン 2008年 01月号 [雑誌]

 特集はテッド・チャンワールドコン直前の7月に発表されたばかりの新作「商人と錬金術師の門」、2005年のネイチャーに発表された「予期される未来」、ワールドコンでのインタビュー、エッセイ1本。加えて番外編として大森望氏のコラムもテッド・チャン

 「商人と…」は、ワールドコンのときに「タイムマシンがあるけれど過去も未来も変えられない」という概要は聞いていたけれど、読んでみるとさすがだな、という感想。なるほど、変えることはできないが、よりよく理解することはできるのだ、と。アラビアン・ナイト風の語り口も効果的。

 「予期される…」は日本語でわずか2ページながら、インパクトのある短編。

これは警告だ。注意して読んでほしい。(p.39)

という冒頭から、最後の一文まで。


 エッセイの概要は既にブログで読んで知っていたのだが、ちょっと取り違えていた部分があった。

 だが、私見によれば、SFでは、宇宙の法則が個々の人間を識別することはない。宇宙はある人間を別の人間と区別しないし、人間と機械を区別しない。ファンタジーでは、宇宙の法則は、人間の個性という概念を認識している。ほかの人間にとってだけではなく、宇宙自体にとって特別な個人が存在する。(pp.47-48)

このエッセイでチャンは、SFとファンタジーを区別する指標として科学を用いていたのだった。

TV脚本家のジェイン・エスペンスンが、つい最近発表したエッセイの中で、SFまたはファンタジーのTVドラマを成功させるコツは、シリーズの主人公を”選ばれし者”にすることだと書いている。
(中略)
そして、そうした物語では、宇宙が個々の人間を識別する。物理法則が全ての人間に等しくは適用されない。道具立てがどんなにSFっぽくても、それは根本的にファンタジーだ。選ばれし者は、他の登場人物からヒーローと見なされるばかりか、宇宙それ自体からもヒーローと見なされているのである。(p.48)

言われてみればその通り。ただ、TVシリーズでも、いわゆる群像劇の方法論を採るなら、必ずしも”選ばれし者”は必要ない。でも、成功に近づく道は、”選ばれし者”路線なんだろうな。(しかし、本号のスタートレックページが、よりにもよってDS9なのは皮肉か?)


 大森氏のコラムの以下の部分は笑った。

 あなたはアメリカでは、アジア系作家というカテゴリーに分類されているんでしょうか。
 現代文学にはたしかにそういうカテゴリーがあるけど、それ以前に、僕はSF作家だから(笑)。アジア系とか中国系とか言う前に、アメリカの主流文学コミュニティにとって、そもそもSFは存在しない。(pp.88-89)


 ロボットSFコンテストの作品発表の続きが今号に載っているのだが、なにも、チャンの新作と同じ号に載せなくても良かったろうに。意思や意識の話題だと、さすがにこの号に載せるのは気の毒だ。