付録ゲームは「1813諸国民戦争」&「春秋戦国」。1813の方はリプレイ無しで基本戦略紹介が2ページ、第1ターンの実例紹介2ページと少々さみしい紹介のされ方。
批評関係記事が3本。
一本目は座談会形式で「カードドリブン」について。コマンドコントロール、戦場の霧、エピソード再現、といった異なるレベルのものを同じように扱っているのが気持ち悪いとか、基本ルール&特殊ルール(陰謀ルール)という枠組みの中で特殊ルールをカードに押し込めるのでプレーの取っつきが良くなるとか、カードドリブンの場合システムの穴が致命的にならない(必ず再現できるわけではないか)とか。
カードドリブンの4分類というの提唱されていた。
- イベントと行動が別々のカードを使うタイプ(We the people、など)
- 同じカードをイベントか行動か選択してどちらかの用途で使う(Hannibal、など)
- 両軍で別々のデッキを使う(Paths of Glory、など)
- 少ないカードでデッキを回すタイプ
二本目は、やはり座談会形式で「ヒストリカル派とシミュレーション派」について。シミュレーション的には滅多に起こらないことでも、歴史上は起こってしまったことというのがある。ヒストリカルというのは、一度きりしか起きていない事象なので、シミュレーションとは対立することがある、という話。一般的な話(シミュレーション)と歴史上の話(ヒストリカル)をどう折り合いを付けるか、というのは最近の流行の話題なのかな。一般モデルだけでヒストリカルに近づけるようにする、というのがモダンなやりかただ、というのは概ね合意のようだ。
三本目は、柿崎唯氏の記事。前号のロンメル話の続き。上記の一回切りだが一般的な枠組みでは難しいというのの典型がロンメル。
通常、ウォーゲームの勝利条件という物は史実における戦略的合理性、作戦目標、両軍の戦力などに基づいて設定される。よってゲームの勝利条件とそれらがかけ離れることは少ない。ところが、「北アフリカキャンペーン」では史実の展開が戦略的合理性を無視しており、かつその戦略的不合理を神業的戦術で埋め合わせているために意味不明なことになっている。
戦略的合理性とか史実の戦力からして妥当と思われる結末を考慮してゲームをデザインし、勝利条件を設定すれば、史実の展開はの染み薄である。(p.60)
でも
ロンメルのために北アフリカ戦は複雑怪奇となり、それを扱ったゲームはいびつな物となった。
だが、そんなテーマが一つくらい無いと世の中面白くないのも事実である。人を愛するのであればその欠点をを含めて愛すべきなのだから。(p.61)
やはり、テーマとしての魅力は健在。そして、この悩みは当分続くのであろう。