特に完全協力ゲームは、どんなシステムを使っても似たような印象になるなあと思っているんだが。個人的には。
http://ter.ath.cx/yusei/yuseiki/%E5%8D%94%E5%8A%9B%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0%E6%B5%81%E8%A1%8C%E3%81%A0%E3%81%AA%E3%81%82
だから、しばらくしたら「もういいや」となる気がしているんだけど。
でもこれは本当に個人的な感想で。
考えてみれば、TRPGの人たちはもう何十年も協力ゲームを続けているわけなのである。パンデミック1個がTRPG1シナリオと思えばいい。一過性の流行ともいいきれない。かもしれない。
クニツィアの「指輪物語」以降、いわゆる「協力ゲーム」が増えてきているのは事実だと思う。クニツィアのゲームは2001年だから、今世紀になってからとも言える。
引用エントリーにもあるように、抽象化して考えると似たようなシステムになるのはある程度避けられないのは事実。でも、遊んでみると結構楽しい。
これは、各ゲームがディテールを表現できるようになってきたからだと思う。だから抽象化すると同じようなシステムであっても、楽しむことができる。逆に言えば、協力ゲームを楽しむには、ディテールを楽しまないといけないということになる。題材に興味を引かれないが遊んでみたら楽しかった、というのは起こりにくいように思う。
このディテールを楽しむというコンセプト、ディテールを表現するための技術は、ボードゲームがTRPGやカードゲームから導入したものだと思っている。だから、トレカブームが一息ついた今世紀に入ってからなわけ。
例えば、同じ協力ゲームのカテゴリーに入る「アーカムホラー」(ケイオシアム版、1987年)と「アーカムホラー」(FFG版、2005年)とを比較すると、ディテールの量も遊びやすさも圧倒的に改良されているのが分かる。コンセプトは同じだから、ここは本当に技術進歩の反映なのだろう。この表現力があってこその協力ゲーム興隆なんだと思う。
ゲームだからもちろん勝利を目指さなくてはならない。一方で、単に勝利を目指すだけではなくディテールを楽しむことも重要。この二つが比較的離れており、場合によっては個別に扱うことができるという点は、シミュレーションゲームやTRPGの楽しみ方に通ずる。
TRPGもカツカツのダンジョンハックシナリオとかはともかくとして、ディテールを楽しんでいる部分は大きい。米国系のいわゆる「重量級」のTRPGは、このディテールをソースブックという形で潤沢に提供している。国産の、特にFEAR系の場合は、ディテールを楽しむ部分をできるだけ楽にできるような支援部分を充実させている。と言えると思う。(各種特殊技能がディテールで、特殊技能を使える場面が来るようにセッションハンドルの仕組みがある、という感じ。)
まあ、TRPGの場合、その「ディテール」が背景だったりシステムだったり一発ネタだったりと、色々。そして、そこを外したり、参加者間で不一致があったりすると、プレイがうまくいかない。ボードゲームよりも、摺り合わせに気を遣う必要がある、と。
あ、でも、TRPG基準だと高いね。
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でも、30代、40代の人間としては、この程度の額なら出せるんですよ。5000円〜1万円程度のものを買って、数回(数日)遊べるのであれば、充分元は取れる。毎日、毎週遊べるわけではないから、1個買えば1〜2ヶ月遊べる。だから、馬場さんの言う「コンビニRPG」は、(値段の絶対的な点を除けば)こういう協力ゲームという形で実現していると言えるのかもしれない。