k-takahashi's blog

個人雑記用

カルチュラル・コンピューティング

カルチュラル・コンピューティング―文化・無意識・ソフトウェアの創造力

カルチュラル・コンピューティング―文化・無意識・ソフトウェアの創造力

カルチュラル・コンピューティングという分野、つまり無意識のうちに深く内属している感性・民族性・物語性といった文化の本質を情報化します。そして、ノンバーバル情報とバーバル情報に統合し、文化追体験や文化モデルの交換体験を、コンピュータで取り扱うという新しい分野を提唱します。(p.13)

 著者のここ20年ほどの研究の内容を紹介し、著者自身の問題意識や観点の変化をなぞることでカルチュラル・コンピューティングの概念を紹介しようという一冊。
 その流れはおおざっぱに言うと

私はまず感情をどう取り扱うかという問題からメディアアートに取り組みました。そして徐々に、ストーリーの重要性に気づき、意識や無意識の問題など扱う領域を広げながら、文化のコンピューティングという概念にたどり着きました。(p.36)

というものになる。ただ、当時散々議論した結果でもあるのだろうが、単にアートだけに閉じこもっていないところがよい。

私たちがコンピュータに望む能力の一つとして、感情を取り扱う能力があります。これは、コンピュータが人間に対して感情的なことを行うことではありません。感情の認識能力を取り入れることで、コンピュータに仕事をより上手に実行させていくことができるのです。(p.47)


 土佐氏は文化の異同にこだわりがあるのだが、それに関して面白いエピソードが紹介されていた。氏が作った「インタラクティブ漫才」のデモをボストンでやることになったときのこと。このシステムのスクリプト吉本興業が作ったものなのだが、それを上司に披露してみたところ、まったく笑いが取れなかった。そこで、ボストンで人気のコメディグループ「インプローブ・アサイラム」に依頼してシナリオを書き換えたのである。結果は、ボストンの聴衆には大受けしたものの、日本人には全然笑えないものになってしまったとか。
この部分、凄く面白い話なので、もっと突っ込んで聞きたいところ。


 全体としての感想だと、土佐氏は「文化」を「情報処理の型」ととらえ、その「型」をコンピュータ上に再現しようとしているように思えた。そこで氏が多用するのが「感情」情報の利用。ここが技術的強み。もう一つは日本の伝統文化の利用。この二つの強みを上手く生かしてアピールをしつつ、文化の情報処理を考える、といったところだろうか。

 ただ、土佐氏のデモのインパクトに比べると本書はやや食い足りない感じだった。ただ、これは土佐氏の最初の著作になるので、もっと突っ込んだ話は追々別の本として出てくるのだろう。そのときには、是非「感情」と「型」との関係をじっくり聞きたい。あとは、上述の笑いのローカル性のところも。


 セマンティックウエブとかと関係する部分も多いかもしれない。だとすると、どこかのタイミングで土佐先生も一気に追い越されてしまう可能性もあるか。