k-takahashi's blog

個人雑記用

日経サイエンス 2010年09月号

日経サイエンス 2010年 09月号 [雑誌]

日経サイエンス 2010年 09月号 [雑誌]

 川口マネージャーのはやぶさインタビューのために購入。トロ・ステーションはやぶさの回って上手くまとめてあったんだな、と妙に感心した。


 あと、面白かったのが「時間は実在するか」。時間を通貨で例える(時間で何かを測定するということは、お金で買い物をすることに相当する。物々交換をすれば通貨は要らないが、通貨を想定する方がはるかに便利である、という話)ところとか、相対論と量子論の統合が難しい理由が時間の扱いであるとか。
 後者の説明で以下の部分が、なんか騙されているような感じで良かった。相対論には絶対時間という概念が無いので、時間は要らないのではないかという話からなんですが、

 物理学から時間を駆逐するというのは魅力的なアイデアだが、巻き添えを食って被害を受ける分野も出てくる。
 1つには量子力学を根本から考え直さないといけない。有名なシュレーディンガー猫の例を考えてみよう。この猫は生と死の間で宙ぶらりんになっており、その運命は量子的な性質を持つ粒子の状態にかかっている。通常、この猫は観測かそれと同等のプロセスを経ると、生か死のどちらかになると考えられている。だがロベッリは、猫の状態が決まることは永遠にない、と主張する。この可哀想な猫は猫自身にとっては死んでおり、同じ部屋にいる人間にとっては生きており、部屋の外にいる別の人にとっては死んでおり……という具合になっているという。
 特殊相対論によれば、猫が死ぬタイミングは観測者によって異なる。それ自体驚きだが、もっと驚くべきことは、ロベッリが提唱するように、相対性理論の本質が働いている限り、そもそも猫の生死さえも観測者によって異なってしまうという点だ。時間というのは非常に基本的なものなので、これが消えると物理学の世界観自体が変わってしまう。(p.48)

猫の生死が観測者によって異なるということになってしまうようで、実に訳が分からない。