k-takahashi's blog

個人雑記用

逃げゆく物語の話

大方のSFファンは、みずからのSF魂(ってなに?)に照らして、この作品は”オレのSF”かどうかを常に判定し続けているわけですが(ジャンル小説読者の業みたいなものかも)、そこに明確な基準はない。つまり何が言いたいのかというと、わたしもまた”オレのSF”観に従って、この≪ゼロ年代日本SFベスト集成≫を選んでいるので、そういうものだと思っていただきたい。
 特にこの巻には、一般的な解釈ではSFに該当しない可能性のある作品がいくつか含まれているが、日本SFは昔からそうした作品を兵器でSFの仲間に入れてきた。早い話、日本SFのオールタイムベス短編の1位に輝く星新一「おーい、でてこーい」ははたして、狭義のSFなのか?という話である。(p.8)

なんて序文を書いておいて、恩田睦、三崎亜紀、から始めるあたりが大森望。他にも「延長コード」(津原泰水)とか、SF選集に入っていなければSFとは言わないだろうなあ。


 普通にジャンルSF的には、マルドゥック・スクランブルの前日譚が書籍初収録だとか、「光の王」(森岡浩之)、「予め決定されている明日」(小林泰三)とかが面白かった。特に「予め」は、確かに論理的にはそれで正しそうだと納得させつつも、オイオイというオチも。
冬至草」のホラー的なマッド・サイエンティスト描写もなかなか。


 表題作の「逃げゆく物語の話」は、新テクノロジーガジェットの面白さと昨今の「非実在青少年」問題とが組み合わさった一作。昨今の社会情勢に鑑み、「言論弾圧SFアンソロジー」とかを作るとしたら、入ってくるんだろう。一方、ガジェットSFとしても面白かった。

幻素を照射すると、一群のテキスト情報を微粉末に変えることが可能である。テキストを記したメディアが粉末になるのではない。テキスト情報がそのまま粉末になるのだ。これに熱を加えるとプラスチック状の成形可能な物質<テキスティク>となる。
テキスティクはシニフィアンス溶剤(澄んだ青いこの溶剤は、通称ブルーデコードと呼ばれていた)をかけると、芳香を発し再びテキストとして再構築される。再構築されたテキストは近くにいるものに直接働きかけ、その情報を送り込む。
この<テキスティク>でヒトガタを造るとどういうわけか動き出すことがわかっていた。(pp.403-404)