k-takahashi's blog

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ゲームジャーナル 42号

ゲームジャーナル42号 マンシュタイン最後の戦い

ゲームジャーナル42号 マンシュタイン最後の戦い

付録ゲームは『マンシュタイン最後の戦い』。作戦指針の記事にいきなり「総統との戦いに勝利せよ!」とあるが、43年8月から44年3月までの8ヶ月間を1か月1ターンで扱うゲームである。(そして、44年の3月30日はマンシュタインが解任された日である)
マップ上の6カ所の都市には「死守命令マーカー」が載せられており、このマーカーがある都市を赤軍が支配するとサドンデスで赤軍の勝利となる。
マーカーを除去するには、「マンシュタイン命令」を使用し、交渉ポイント3点を消費しなくてはならない。
当然ながら、マンシュタイン命令も交渉ポイントも貴重な資源(増援や対応に使える)なわけで、当時の独軍の苦労が表現されているということになる。

ヒトラーは、1941年のモスクワ前面で「現在地点を固守せよ」という命令によってソ連軍を撃退し得た成功体験に支配されていた。(p.11)


一方で、デザイナーズノートにはこんな記載がある。

パウレカレルやマンシュタインの著書によって一般に信じられているような、ヒトラーが増援を出し渋り、マンシュタインが少ない戦力で紙一重の戦線を支えつつ、機動防御と芸術的な用兵で、幾たびもも壊滅の危機に瀕したドイツ軍部隊の窮地を切り抜け続けたというイメージとは異なり、ヒトラーは該当期間中に南方軍集団に1個軍集団を丸ごと編成できるほどの大量の増援(44個師団)を送り続けたが、同時に南方軍集団はほぼ1個軍集団を喪失するにたる損害(35個師団、実数で42万人)を被ったということが、オーダーオブバトルの分析から分かるのである。(p.26)

それを受けて、「何をシミュレートするのか?」という話になっている。
そのリサーチ結果も記事として掲載されている。戦闘の損害のみならず、敵配置を掴んでいなかったことが分かるような結果まで出てきている。


それでヒトラーの死守命令の対応に忙殺されたところはヒストリカルに、部隊の運用はドラマティックにというゲームになったようだ。面白い。