k-takahashi's blog

個人雑記用

ゲームジャーナル 35号

 付録ゲームは「激闘!グデーリアン装甲軍」。「激闘!マンシュタイン軍集団」システムを元に、スモレンスク会戦をテーマにして米国でデザインされたゲーム "A Victory Denied"を日本向けに修正したもの。
一見して一番の特徴はマップの東端にモスクワがあること。西端にミンスクがあるので、スモレンスクがほぼマップ中央にくる。(両ゲームのマップを並べてみようと思ったが、PGGが発掘できなかった。どこ行った?)
元のシステムをどのように変更したのか、アメリカ市場向けゲームどのように日本市場向けにアレンジしたか、などデザイン論的に興味深い話になっている。


 まず、デザイナーズノートから。

当初私が思っていたのは、ドイツ軍は毎ターンのようにソ連軍を打ち破り、いよいよと言うときになってヒトラーがこの軍から勝利を奪い取ってキエフの大包囲網を完全にするために中央軍集団の装甲部隊を転換させてしまうことを選んだのだ……というものでした。このスモレンスク戦に関するこの比較的常識的な認識が、全く間違っていることを私は知ったのです。
(中略)
このゲームの第1あるいは第2ターンにドイツ軍はその機械化部隊で突進し、次にその矛先を、赤軍が集結し反撃を開始するのに対して、かろうじて保持していた……というのがこの戦いの全体像だったというべきでしょう。(pp.34-35)

おそらくこのゲームでもっとも議論の的になるのは、ドイツ軍装甲師団の戦力値に関してでしょう。
(中略)
そのため、9攻撃力というのは最初の数ターンの間はよく働くのですが、防御力を4のままにしていたら、それは高すぎる数値だということが分かってきました。プレイヤー達はそれらをゲームの最後まで重要拠点を守るのに使っていましたし、それらが実際に使用された用途と比べてあまりに装甲師団らが「多目的なもの」になりすぎてしまっていたのです。(pp.34-35)


 次は、編集部による日本語版製作についての記事から引用。

本作で日本語版と英語版に違いが生じた理由は、日本のプレーヤーとアメリカのプレーヤーのプレースタイルに違いがあると考えられたからである。
英語版では、ドイツ軍プレーヤーはその気になれば、側面を一切気にせずにモスクワに向かってまっしぐらに直進するような作戦をためすことができる。
無論そのような作戦は大きな危険がともなうのだが、ソ連軍が的確な対応に失敗した場合は、「目標!モスクワ」の発動を待たずして、通常プレーの8ターン以内にモスクワに突入できる可能性もゼロではなかった。
英語版ゲームのこのような展開は、プレーヤーに大きな作戦の自由度とゲーム展開のバリエーションを与える代償に、ディティールにこだわる日本のプレーヤーからは、ゲーム展開が史実から逸脱しすぎるという批判を受ける可能性があった。
また、英語版ではアメリカのプレーヤー向けに両軍の正面からの殴り合いという「派手な」演出が重視される傾向があったが、その一方テクニカルな要素にこだわる日本のプレーヤーには「大雑把」なゲームとして受け取られる可能性があった。
つまり、英語版ルールにおけるプレーは高性能だが乗りこなすことが難しいレーシングカーのようなものであったが、日本のプレーヤーは、ルールで誘導されていなければ史実を離れて極端な作戦を試すなどしてその結果が史実との乖離があまりに激しくなった場合、大きな問題として認識するなど、ゲームとしての「実用性」を重視する傾向があるため、自由度を押さえる代わりに堅実なゲーム展開に誘導するために、日本版では以下の点に関して、ルールが変更されることになった。(p.36)


また、座談会も、電撃戦とは何か?、それをどうゲームシステムで表現するか? ということを複数ゲームを比較しながら議論しており、移動力の意味や「アントライド0戦力」の解釈(弱いのではなく混乱や電撃戦の効果を現している)などの話も出ていて興味深い。
複数の名ゲームが出ているテーマは、こういう比較論が盛り上がる。


あと一つ、良かったと思う記事が「西南戦争1877を十倍楽しむために」という浅野竜二氏の記事。
前号でやや煽りの入った記事を書き、それらのプレイ感想を踏まえての追加発表という形。

レビュー記事の多くで、熊本と久留米に両軍が対峙して、ダルイ展開になるとのご指摘がありました。これは、大分、長崎ルートからの間接アプローチを軽視しているからではないでしょうか? 史実でも田原坂の陥落は、正面攻撃の成果と言うより、八代の衝背軍の存在によると考えられています。(p.76)

こういうゲーム発表、プレイレポート、追加記事、という流れはいいな、と思う。