k-takahashi's blog

個人雑記用

超ファミコン 〜インタビュー部分は必読

超ファミコン

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帯の煽りとか、ふざけた文体とかは、まあ著者の味だから、そういうものだということで。
本書の価値は二つのインタビュー記事に尽きると思う。
一つは『究極のファミコンムービー GAMEKING 高橋名人VS毛利名人 27年目の真実』という渡辺浩弐氏のインタビュー。もう一つは『マイティボンジャック つっぱり大相撲 を作った男』という猪瀬祥希氏のインタビュー。

GAMEKING

1986年に公開された映画で、もちろん、子供向け演出だったことは皆承知の上だったけれど怪しげな特訓シーンなどが話題になっていた。
その裏話を渡辺氏が語っている。どこまで演出してどうするかというところを、高橋名人が相当悩んでいたことを語っている。何度も出てくるプロレスの例えは今一つピンと来ない(単に私が知らないからです。多分、説明としては良いんだと思う。)、

「勝つ試合」と「魅せる試合」は違うんだっていうことなんですね。
(中略)
シューティングゲームだったら画面上に敵が出てきた瞬間に全部消しちゃった方が次の敵が出やすくて、点数をアップできる。でも、それだと画面に何も無い状態が続いて「このゲームつまんない」って見えるじゃないですか。敵が画面上に一杯出てから、そこをくぐり抜けて撃つ。そうして、無駄を作りながらも魅せるプレイをやったのが、高橋名人だったんですよ。
●ゲームの魅力を十分引き出すことが名人の仕事ですもんね。
(pp.013-014)

渡辺 『スターソルジャー』は死んじゃったらドッチラケなんですよ。その瞬間に、ほぼ終わりになっちゃう。
(中略)
それでも高橋名人は「そのリスクを負う」と言い放ったんですね。だから、僕が密かに無敵ROMに差し替えたんですよ。
(p.014)

渡辺 三試合が終わった後に、「高橋名人が勝つシーンを撮りたいんですけど」って毛利名人に頼んでも「いや、僕は負けません!」って。
●頑なに空気を読まないんですね(笑)
渡辺 面白いのは、その後、高橋名人が「じゃあ勝ちますよ」って言って簡単に勝っちゃったんですよね。
(pp.016-017)

他の関係者からの確認も要るとは思うけれど、まずは、本書のインタビューではこうだったということで。

猪瀬祥希 インタビュー

(1983年のこと)
猪瀬 それで創業者である当時の垣原社長にお会いしたら「ゲーム作れるらしいな。じゃあ開発で働け」と。(p.153)

猪瀬 ロサンゼルス空港についてすぐ国際電話で「いますぐ任天堂に行きなさ〜い!」って(笑)。それが1985年の末ですね。
(中略)
そこがハードウェアをやっていたアーケード会社の強みで、ツールを自作しちゃったんですよね。
(p.156)

岩崎啓眞氏によれば、ハドソンの参入決定が1983年だから、2年ほど遅れてということになる。ただ、それでも資料はあってもろくな機材は無かったということのようだ。