- 作者: 上村雅之,細井浩一,中村彰憲
- 出版社/メーカー: エヌティティ出版
- 発売日: 2013/06/28
- メディア: 単行本
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本書は、上村雅之氏が絡んでいるところがポイント。上村氏は、光線銃やテレビゲーム15などを経てファミコンのハードの開発に従事、その後ディスクシステムなどにも関わっている。
なので、本書の見所は、第3章の『ファミコンの開発とその設計思想』のところ。ということで、以下第3章から幾つか。
ゲームウォッチの頃、プログラムという方式が持ち込まれたことで、
電子技術に関する詳しい知識を持っていなくても、面白い発想を持っている人物であれば誰もがゲーム&ウオッチの開発に参加できるようになった。
ただし、その発想内容がプログラムを担当する人物の理解と共感を得る必要があるが、(p.86)
となったことを述べている。
スプライトについても、当時のポイントとして
スプライト方式は表示内容がCPUの処理能力にそれほど影響されないことが判明した。つまり、スプライト方式の表示か色を表示したい内容に特化して設計することで、それまでのビデオゲームとは比較にならないほど高度な表現が可能となったわけである。(p.94)
これは、旧世代の基板が使えないということを意味し、ビジネス上の影響も大きかった。ドンキーコングはこのスプライトという技術の特徴を活用して作られたゲームと位置づけている。
カセット式は、接触不良と静電破壊という二重のリスクを製品に負わせることになるというのが当時の技術的常識であった。(p.100)
というのはいいのだけれど、どうも何となく解決してました的な説明だった。
アーケード版ドンキーコングはZ80。しかしファミコンは6502。そうなった理由については、
この難問に決着を付けたのがコスト問題であった。
(中略)
そこで音源とCPUをひとつのLSIに組み込むことができれば、二個のLSIのみでテレビゲームが実現できるため大幅なコストダウンにつながるという発想が生まれた。
もちろん、もう一つのLSIとは新しい表示方式を搭載したLSIのことである。
(p.102)
とまとめている。
コントローラが二つ付いた件については、
そもそもビデオゲームの遊びとしての革新性は一人遊びができることであった。(p.105)
としながら、結局議論の末2つになったそうだ。
ポーズボタンは当時普及し始めていたVTRのポーズボタンがヒント(p.109)とのこと。
有名な四角いA,Bボタンについては、当初はゲーム&ウォッチと同じだった。ゲーム&ウォッチは画面を真上から見るからボタンも真上から押していた。ところがファミコンはテレビ画面と関係ないところにコントローラがあるので、斜めから押すことが多くなった。この押し方に対して、四角いボタンは耐久性が低かったので、丸くしたそうだ。(p.120)
などなど面白い。もちろん、上村氏のいうことを鵜呑みにするのもどうかと思うが、現場で実際に活動していた人の発言なのだから、スタート地点にするならこれということになるだろう。
(ファミコン前史にあたるアタリ社関係のところも、チェック不足っぽい記載が目立つ。本書は充分に裏を取って書かれているのかどうかやや不安。)
その後のビジネス云々の部分も基本的に任天堂史観に基づくもの。スーファミ時代で途切れていることもあって、この部分は別の本を読んだ方が良さそう。
ということで、やはり第3章がお薦め。