k-takahashi's blog

個人雑記用

 世界を変えた≪標準革命≫ 〜標準は強力で困難なもの

私は50個の発火装置の部品をバラバラにして分類した上で渡された。そしてそれらを勝手に幾つか手にし、組み合わせてみた。それは完全に填め合わせることができた。(No.218)

そんなの当たり前だろう、と思うのが今は普通。しかし、これが18世紀のフランスでデモされたときには、「信じがたいほど革命的」な出来事だったのである。
これは銃の例だが、他の精密機械、例えば時計でも同じで、同じはずの時計であっても部品を入れ替えたら動かないのが当たり前だった。一つずつ部品を調整して動くようにする、それが職人の仕事だったのであり、それは職人にとっては飯の種だったのである。


しかし、これは都合が悪い。修理のことを考えれば分かる。戦場で武器の調子が悪くなったからと言って、部品を取り出し、一つずつ細かく調整して元に戻す、なんてことをやっていたらその間にやられてしまうだろう。特に18世紀のフリードリヒ大王が始めた「機敏に動き回る砲兵」がその必要性を高めた。壊れないようにするというのがひとつの解だが、頑丈さも度が過ぎると重く使いにくいものになってしまう。だから部品をストックしておき、壊れたら部品を交換するという発想が広がっていった。さすがに当時でもそこまでは理解されていた。
だが、実施はできなかった。職人達が反対したのである。


次に思い浮かぶ疑問が、「設計図ってなかったの? ダ・ヴィンチの書いた設計図ってあったし、18世紀なら設計図はあったはず。設計図通りに作るだけのことがなぜできなかったの?」だろう。

ものを製造するときに必ず設計図を描くというのは、現代人の思い込みである。設計図の製造現場での使用が定着していくのは19世紀になってからのこと。
(No.269)

さらには、「設計図通りに作る」というのはものすごく困難なことなのである。
まず、設計図を書く技術が必要となる。当然、度量衡が統一されていなくてはならない。さらに、精度を揃えることが必要となる。その精度は、設計する場面、製造する場面、検査する場面、の全てできちんと守られなくてはならない。(


こんな面倒なことで、しかも職人の目から見れば自分たちの仕事を減らすことに繋がる作業をやるわけがない。反対運動どころか嫌がらせや殺人にまで到ることもあったそうだ。
これが、最初に実現したのは武器の分野だった。戦争というどうしようもない現実に立ち向かうために必要だったから。政府には強制するだけの力と動機があったのである。この文脈で、フランス革命メートル法を見ると興味深い)


この標準化による大量生産が最初に花開いたのはアメリカ大陸だった。当時(19世紀)のアメリカは、もの(資源)は豊富にあったが人手が圧倒的に不足している、という状態だった。この人手不足を解消するために標準化による効率化が必要であり、実際に導入されていった。アメリカでは軍需だけでなく民需にも取り入れられていくことになる。最も有名な例がT型フォードということになるだろう。


というのが本書の最初の3章分くらい。
そのあとで、規格をどうやって決めれば良いのかについての歴史と解説、人の動きを規格化すること、などが続いていく。
規格には寸法だけでなく、精度や検査が必要だというのは上に書いたが、どうやってそれを保証すればよいのかというのもまた難しい。製品(部品)の規格を満たすためには、材料の規格、作業方法の規格が必要である。となると材料にも精度や検査が必要となる。いつ、どこで、どういう規格を満たせば良いのかはそう簡単には決まらない。作業方法を規格化しようとすると、今度は器具が磨耗するという問題が出てくる。すると、器具の品質を管理し、磨耗の具合を検査しなくてはならない、という感じでこちらもどんどん話は遡り膨れあがっていく。
一方、規格を決めるということは、それ以外のものを排除することである。だからどんな規格をどのように決めるかは、極めて政治的な問題となる。そのことも19世紀に遡って記載されている。


規格化の功罪の話も出てくる。早すぎても遅すぎても役に立たない規格になってしまう。規格を握ることはビジネスを支配することに繋がるが、一方で早すぎる規格化は発展の制約となるからである。T型フォードが飽きられた、というのもこの話の流れにある。


以前、コンテナの本を読んだが、ここでも効率化のための標準化という話題が出ていた。同じ話題が本書にも出てくる。改訂の際に追加された内容とのことで、最新のアップデート部分ということになる。


IT系で規格(標準)というと、MSやアップルによる排他の問題がよく話題になるが、もちろん規格には良い面もたくさんある。そういったことが概観できる良い一冊。