『 世界で一番キリンを解剖している人間なのかもしれない』(p.4)
キリンを解剖する、というネタから解剖や研究について分かりやすく解説している本。最初は解体(とにかくバラしてみる)ところから始まり、何も見えていない経験を経て段々見えるようになっていき、遂には「研究」としての解剖に進んでいくところが、実体験を踏まえて面白く書かれている。
哺乳類の首の骨は7個、というのが常識だがもしかして8個目があるのではないか、8個あるからあれだけ首を動かせるのではないかという仮説を、解剖を通じて明らかにしていくところは興味深いし、なぜ解剖が必要なのかがよく分かる。骨が動くのではないかということと、動かす筋肉があるのではないか、というのを両方検証しなくてはならない。それを少しずつ進めていくのである。
雰囲気としては、先日読んだ『鳥肉以上、鳥学未満』に通じるところがある。骨と肉から生物の動きや進化などを読み取るというところなんかが特に。逆に、一般の人がかなり見慣れている鶏(の肉と骨)とキリン(ほとんどの人は見たことない)との違いもある。
小ネタも面白い。
キリンの解剖が最優先事項なので、何があってもキリンの訃報が届いたら全てキャンセルする生活。キリンはアフリカ生まれなので寒い時期になくなることが多い。なので、忘年会・新年会は「キリンが死ななかったら」と言っているのだそうだ。
キリンの首は頑丈で筋肉もしっかりしている。メスを巡って首をぶつけ合う「ネッキング」というのがあるのだが、首と頭の重さを合わせると130kg~150kgで長さは2メートル。つまり白鳳関が立ち会うようなもので、そりゃ相当の衝撃だな。
著者はキリンやオカピの解剖だけでなく、昔の論文、博物館の標本などを使って研究を進めている。で、最後の「おわりに」をこんな話で閉じている。
なぜ、こんなに標本を作るのか。それは、博物館に根付く「3つの無」という理念と関係している。「3つの無」とは、無目的、無制限、無計画、だ。「これは研究に使わないから」「もう収蔵する場所がないから」「今は忙しいから」・・そんんあ人間側の都合で、博物館に収める標本を制限してはいけない、という戒めのような言葉だ。
(中略)
実は今も、100年以上前に収集された標本を使って研究している。過去から届くバトンを受け取り、研究成果という名の付加価値をつけたうえで、次の世代に届ける。それができる研究者になりたいな、と思っている。無目的、無制限、無計画。
「何の役に立つのか」を問われ続けるいまだからこそ、この「3つの無」を忘れず大事にしていきたい。(pp.212-213)