k-takahashi's blog

個人雑記用

歴史・戦史・現代史 実証主義に依拠して

 

大木毅氏のエッセイ集。

冒頭はウクライナ侵略戦争。その次が「独ソ戦」再考。

 

歴史の使い方(特に誤った使い方への警句)、著作に入れなかったトピック、人との出会いのエピソードなどが色々な切り口で紹介されている。

独ソ戦」を読んで面白いと思ったのであれば、その副読本と思って読むとよいと思う。

 

第一章はやはりウクライナ関係。

開戦前から侵攻の可能性と時期を予測していた一方で、当初の展開には首を捻った様子が書かれている。

より軽快で火力と機動性に優れた「大隊戦術群」のドクトリンを練り、シリアやクリミアでの作戦でその威力を見せつけて、諸国の軍事筋を警戒させたロシア軍が何故に、かかるていたらくとなったのか。ひとえにプーチンの誤断によるという解釈はなりたつまい。そう考えるためには、プーチンが、第二次世界大戦末期のヒトラーさながらのマイクロマネジメントをロシア軍にほどこしたと想定せざるを得ないからである。

おそらく数十年の時を経なければ、その実態が解明されることはあるまいが、近年しばしば報じられているロシア軍改革の失敗や腐敗以上の何かが起こっていたのではなかろうか。

いずれにせよ、ウクライナ侵攻においては、軍事的合理性では説明できない事象が多数生起している。軍事は理屈で進むが、戦争は理屈では動かないと、あらためて実感させられている。(No.315)

 

終結についてはこんなことを書いている。

正邪の観念をふりかざした戦争を、合理性にしたがった妥協で終わらせることなどできはすまい。(No.546)

予想が当たるかどうかはともかく、大きな懸念材料の一つではあるだろう

 

 

戦史からの教訓については、こんな警句も。

「つぎの戦争」に必要とされることを追求するのではなく、自らにできる既定方針を補強する実例を戦史から探し、そこから、おのれの戦略・作戦・戦術を肯定する論理を導くというアプローチ、「教訓戦史」に終始したのである。この場合の「教訓」とは、日本軍が定めた戦闘原則に都合のいい手前勝手な戦訓にほかならなかった。(No.1163)