- 作者: 佐藤靖
- 出版社/メーカー: 東京大学出版会
- 発売日: 2007/05
- メディア: 単行本
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NASAの研究開発は、センターと呼ばれる組織によって行われている。そもそもが、米国内にあった様々な組織を統合して作られたものだから、その出自も様々である。その中から、マーシャル宇宙飛行センター(ロケットを開発。もと陸軍研究所)、有人宇宙センター(宇宙船の開発運用。もと航空技術の研究所と弾道ミサイルの研究所)、JPL(無人探査機、もとカリフォルニア工科大)、ゴダード宇宙センター(宇宙科学、もと海軍研究所)を選び、もともとどのような技術文化を持っていたのか、それがNASAという組織内でミッションをこなすために、どのように変化し、あるいしなかったのかを、具体的な事例を通じて示している。
NASAはアメリカの政府機関であり、しかも軍ではないので、その活動は常に議会と国民の目に晒されることになる。(むしろ、軍の研究所の方が、監視が緩い分、自由だったそうだ。)そのため、NASA自体はシステマティックな管理を行うことが必須であった。しかし、上述の通り各センターの母体はそういった組織ではなく、NASA本部の求めるような手法をそのまま受け入れたところはなかった。そういった文化の違いが、宇宙開発という難問を前にして文化衝突という形で現れてくる。あるときは既存文化重視で属人的に、あるときはシステム重視で脱人的に、運営されている、その具体的な変化が読んでいて面白かった。
そして、本書のような分析の流れの中で、チャレンジャー事故がどのように位置づけられるのか、というのも読んでみたい話である。
NASAのアポロ計画は成功したプロジェクトであり、当然、各センターも役割を果たすことに成功している。だから、ここで紹介されている組織のありかたが妥当なものかどうかは必ずしも明確ではない。正直なところ、現代の目で見ると、もうちょっとシステマティックにやった方がいいだろうと思える部分が多い。もちろん、それは時代や時間や人材の制約のもと様々に変わるものではある。現在となっては、当時のフォン・ブラウンや科学グループが育んでいたような固定的・長期的組織は少なくなり、と言うよりそんなのんびりしたペースでは現実のスピードについていけなくなってきている。その意味で、古き良き時代でもあった。
ところで、本書で書かれているのは1960年代、70年代の話である。各センターの持っていた「技術文化」へのこだわり方も、管理と文化のせめぎ合いも、現代に通じるものが多いとは言え、一昔前のものである。本書と平行して読んでいたのが、上述の「5つの定理」であり、その中には、現在進行形で巨大ミッションに向けて邁進するグーグルという組織のことが記されている。
当時のNASAの諸センターと比較すると、とにかく情報を出すこと、外在化や構造化を強力に推し進める点で異なり、独特な文化を持ち個人を尊重し外部からの管理を嫌うという点で共通している。 そして、情報技術、コミュニケーション技術の発展が桁違いという点で大きく異なっている。
この2冊を平行して読みながら、当時のNASAにいた人達が今グーグルにいたらどう振る舞うだろうか、今グーグルで働いている人達が当時のNASAにいたらどう振る舞うだろうか、彼らは成功できるだろうか、ということを考えていた。宇宙と情報はジャンルが違う。オープンソースに対する批判として「オープンソースで作った有人宇宙船に乗る気になるか?」というのがあったくらいである。しかし、どちらも科学をバックグラウンドにした先端技術であることには違いない。「技術文化」「技術哲学」という枠組みで語れるはずだ。
直観的には、NASAとグーグルには何か違いがあるように感じている。アメリカ的フロンティア主義は同じようなものだろうが、なにか他に大きな違いがあるような気がする。 何だろう?
もう一つ。NASAとグーグルを比較すると、技術の脱人化は確かに進んでいるように見える。フォン・ブラウン流の「団結チーム」のようなものがシリコンバレーに無いのもおそらく事実だろう。しかし、「5つの定理」に出てくる人達を見ていると、往時のNASAの「属人流」の人達に通じるものがあるようにも感じられる。単純に「脱人化が進んだ」と言うのも何か違うような気がするのである。
本書の著者である佐藤靖さんの目に、シリコンバレー流はどういう風に映っているのだろうか?