k-takahashi's blog

個人雑記用

最果ての要衝

8月17日、ソ連軍上陸す―最果ての要衝・占守島攻防記

8月17日、ソ連軍上陸す―最果ての要衝・占守島攻防記

 昭和20年8月17日。終戦から3日後に、突如始まるソ連軍の攻撃。引き上げ準備を始めていた占守島の守備隊が巻き込まれた3日間の戦闘である「占守島の戦い」について語った一冊。コンピュータゲーム「ガンパレードマーチ」の士魂号の元ネタになった第九十一師団戦車第十一連隊のエピソードでも知られている。


 一般に流布しているストーリーは

8月18日未明から戦闘が始まり、翌日には日本軍軍使との間で、停戦・日本軍の降伏が合意された。20日朝、日本軍は合意を破って、奇襲攻撃。最終的に、日本軍司令官との間で、降伏調印がなされたのは21日夜だった。日本軍の戦闘による実質的な抵抗は、ソ連軍上陸当日のみだったが、日本軍の停戦合意を無視した奇襲攻撃と、交渉引き延ばし等により、最終的に占守島日本軍が武装解除されたのは、ソ連軍上陸後6日目だった。

占守島の戦い - Wikipedia

ということになっている。


 一方、本書では、

  • ソ連の条約違反(不法侵入)は予測できなかったのか
  • 停戦交渉の軍師が2人いたようなのだが、これはなんだったのか

についての検証を行っている。(他に、戦闘中の部隊編成や指揮官不在問題なども)
 共産主義への幻想が残っていた昭和期ならいざしらず、現代では、ソ連の「北海道を手中に」という拡張主義的思惑を否定する人は少なかろう。当初のソ連の思惑通り占守島を1日で占領していたら、ソ連は北海道に上陸し、その既成事実をもとに日本が分断国家になっていたかもしれないのである。当時の兵士達にそこまで思いを巡らせることができたとは考えにくいが、いったんは終戦を聞き「内地に帰る」と思った彼らが、あえて戦うという選択をしてくれたことには感謝するべきだろう。
 一方で、上述の二つの問題を細かく検証しようと思うと、資料のチェックと関係者へのインタビューを重ね、それらから丹念に誤りを削っていく作業が不可欠である。関係者が次々と鬼籍に入っていく中、その作業を重ねてきた著者に敬意を表したい。


 もちろん、本書は、上述のような見方に立っているので、中立的な研究論文とは言い難い。本当のところはどうだったのかは、今後の研究を待つ必要があるのだろう。ただ、間違っても、「10万人がデモしたので、これが真実です」などと言った馬鹿なことはしないようにお願いしたい。