k-takahashi's blog

個人雑記用

ケータイ小説としての「人間失格」

その夜、大河と麗魅は、鎌倉の海に飛び込んだ♪
麗魅は、「このショールはキャバ嬢仲間から借りてるから…」、と言って、ショールをほどき、畳んで岩の上に置き、大河も毛皮のコートを脱いで、同じ所に置いて、一緒に入水した。
ザブ〜ン♪
麗魅は死んだ。 がーん! そうして自分だけ助かった。

 ユリイカの9月号(小島監督のインタビューが載っているからということで買いました。そのインタビュー記事は正直なところちょっと期待はずれ。一方で私は「詩と批評」にも関心は無いのでパラパラめくっていた。)に、この夏、数社が人間失格に今風のイラストや写真を添えて売り出したことについての記事が載っていた。上記引用部はその記事内にあった「人間失格の主人公と行きずりの女が入水したシーンをケータイ小説風に訳したら、の部分。


 記事は、まず、人間失格ケータイ小説的要素を多く含んだ小説であることを示す。具体的には、ケータイ小説に頻出する「援助交際、レイプ、妊娠、薬物、不治の病、自殺、真実の愛」という7つのアイテムのうち、「妊娠」「真実の愛」以外が人間失格に登場していることを示す。さらに、主人公が反社会的なようでいて実は対人コミュニケーションを避ける行動をしているところも共通しているとか。
だから、太宰をケータイ小説読者に向けて売るのは正しいのだろう、ということになる。


 そういう観点から、明治以降の日本文学を漁ると、私は文学はよく知らないので分からないけれど、ケータイ小説化できるようなものがきっとまだ幾つかあるのだろうな。最近流行の蟹工船もいっそ翻訳してしまうと面白いかも。(分かりやすくなるか、分かりにくくなるか、そこは微妙な気もするが。)