k-takahashi's blog

個人雑記用

軍事研究 2012年10月号

軍事研究 2012年 10月号 [雑誌]

軍事研究 2012年 10月号 [雑誌]

空母ワリヤーグ号(田中三郎)

中国がソ連崩壊後に購入した空母は、キエフミンスク、ワリヤーグの3隻。この中でワリヤーグを選んだ理由について、田中氏は

旧ソ連がワリヤーグ号空母をクズネツオフ号空母の後継艦として将来の原子力空母への拡張性を備えた空母として建造に着手した艦であったことに着目し、原子力空母への建造をも視野に入れた上での選択であったと推定される。(p.43)

としている。これに関連して、昨年2月にウクライナで報道された事件に触れている。

罪名は、ロシア海軍試験飛行訓練センターニトカの技術資料を違法に中国に売り渡したというものである。(p.47)

筆者の判断が正しければ、中国が最も入手を希望していたものは、ニトカの陸上のアスレティング・ワイヤー、甲板下変速機技術である。(p.47)

というわけで、よく話題になるワイヤーの件も含めて、開発が進んでいるようだ。

日本への早期警戒情報の提供プロセスと沖縄周辺に全面展開した米軍の全貌(能勢伸之)

4月の北朝鮮の銀河3の打ち上げへの対応について。公式発表はないので能勢氏が外信などをまとめた記事。
興味深いのが、「三機しかないRC-135Sコブラボールが12月に嘉手納に来訪」「二機しかないRC-135Uコンバットセントが1月に来訪」。つまり1月にはかなりの監視体制を整えていたことになる(二国間合意が2/29)。
そして、4月10日にはコブラボール2機が追加で飛来し、全3機が終結。これはさすがに稀なことで、能勢氏は「上昇、分離、放出」の3段階を全て観測するためと推測している。


一方、米軍と日本との情報交換については、海自のRP-3が機能したのかしなかったのかはっきりしていないことを指摘している。また、防衛省の命令伝達システム(NCCS)の端末が官邸にもあるはずだが、官邸がここから情報を得た形跡がなく、これも気になる点。

訓練やショー関係

リムパック2012のレポートは菊池雅之氏。海自からの派遣艦艇数は減っているが今年は「ぶんご」が参加し、オーストラリア海軍特殊部隊やニュージーランド対機雷戦チームが乗り込んで訓練した。


ロシア空軍創立100周年の記事は小泉悠氏。巻頭にカラー写真も載っている。訓練時間については年100時間がなんとか確保できるようになってきている。


ファーンボロ・エアショーの記事は、青木謙知氏。五輪の影響でスケジュールが前倒しになり、悪天候の影響もあったせいか、来場者数は約20万7千人。青木氏はここでオスプレイに試乗しており、「飛行から受ける感じは、固定翼の輸送機そのもの」「振動はヘリコプター特有の振動に近い」とレポートしている。

セラミック複合装甲の原理と構造(黒部明)

各種複合装甲の歴史とメカニズムの解説。セラミックの長所・短所については、「長所:硬い、強い、比較的軽い」「短所:脆い、性能が不安定、破壊領域の伝搬が早い、曲げの力に弱い、高価」と整理している。それらをどうカバーするかというところはさすがに機密なので、方針や考え方を解説している。セラミックの長所短所を頭に入れておくと、複合装甲の構造が分かりやすくなるということ。

中国の尖閣侵攻・占拠と防衛出動 (五味睦佳)

可能性の高いシナリオとして、「漁船および政府公用船の領海への居座り」、「大量漁民および海上民兵による尖閣占拠」、をあげ、中身と対応策を解説している。どちらも「武力攻撃」に該当しないと解釈される可能性があり、そのまま中国が物資を陸揚げし施設建設、占拠の既成事実化、としてしまうかもしれない。
そうならないようにどう準備すれば良いのかという記事。

欧州戦跡紀行:エストニア編(斎木伸生)

エストニアの土地でエストニア人が戦ったのに、戦史上は独ソの戦いのようにしか書かれなかった。それはなぜか、というのが齋木氏の問題意識。

「占領と自由のための戦い博物館」はとくにこの二つの機能が密接に結びついた博物館といえるだろう。「研究」し、そして「展示」するのだ。それはどういうことかというと、エストニアにとってソ連の占領とそれにたいする抵抗運動は、その事実そのものが歴史から抹殺されており、まず歴史の発掘そのものが必要なのだ。そして、その発掘された事実を、エストニア国民そして外国人にたいして、広く発信していくことが、同様に必要なのである。
それは同じことが二度とエストニアにたいして引き起こされないために、そして同じく世界中でだ(p.233)

中国がチベットやウィグルに対して行ってきたこと、台湾や日本に対して行おうとしていること、がまさにこれ。


他に、拷問道具(奥行き数十センチの部屋)の写真、エストニアボートピープルの歴史(小舟で大西洋を越えようとしたという。なぜなら当時スウェーデンエストニア人をソ連に引き渡していたから)、抵抗運動「森の兄弟」のブンカー跡なども書かれている。