k-takahashi's blog

個人雑記用

戦国の陣形

 

戦国の陣形 (講談社現代新書)

戦国の陣形 (講談社現代新書)

 

 戦国時代に、ゲームや歴史小説に出てくるような「陣形」なんてなかったよ、という話。

陣形を組むためには、編制が整っており、かつそれを指揮官が統制できなくてはならない。しかし、そんなものができたのは戦国も末になってからで、かつ訓練していなくては陣形は組めない。律令時代にはそういう編成もあったが、これは対蝦夷戦などでは機能せず、むしろレンジャー的な軍の方が有効だった。それが侍となっていった。

唯一の例外が武田氏で、信玄の指示でそれに近いことをやろうとしたが、実戦では村上義清上杉謙信の戦術に対抗できず、広まることもなかった。

 

実際に戦国期に行われるようになったのは、鉄砲、弓、鑓、騎馬、旗の5兵種連携の「五段隊形」だった。これは、戦国期に広まり、江戸期にも「軍役之定」として通常の編成とされた。

 

というのが前半の解説で、それを文献資料から読み解いている。(そんな記述はないとか、書かれているのはこういうことだ、とか)

 

終盤では有名な「川中島」「三方原」「関ヶ原」をそうした目で見直している。魚鱗だの鶴翼だのというのは、妄想と印象だろうというぐらいの勢いである。

謙信の車懸にいたっては、

現代的に言えば「戦術」である。語弊を恐れずいってしまえば、「ライダーキック」「ティロ・フィナーレ」のような必殺技名のニュアンスで受け止めるといいだろう。「車懸」は部隊の配置ではなく、運用を表す戦術の名称だったのである。(No.1530)

である。