k-takahashi's blog

個人雑記用

ウォーゲーム日本史 第2号

季刊 ウォーゲーム日本史 第2号 新・戦国大名(ゲーム付) ([バラエティ])

季刊 ウォーゲーム日本史 第2号 新・戦国大名(ゲーム付) ([バラエティ])

 銀パパの「新・戦国大名」を掲載。
オリジナルの「戦国大名」を久しぶりにプレイして銀パパがこんなことを考えたことからスタートした企画らしい。

面白かった。しかし、3時間半のゲーム時間は天下の趨勢がまだ見えないうちに終了してしまった。やはり20世紀のゲームだと、私は思った。
それと、やはり「大名死亡」カードの影響の大きさが気になった。(デザイナーズノートより)

そこで、

  • ターン数を短くした(3ターン+最終ラウンド、1ターンは3ラウンド、1ラウンドに3アクション。なのでゲーム全体で30アクション)
  • エリア縮小(近畿、東海、関東に限定)
  • 戦闘のダメージを強調(戦闘による損失が国力低下に繋がり、明確に不利になる)

という方向でリファインを行ったのが本作ということになる。

 ルールブックはややごちゃごちゃした印象。もうちょっとうまい書き用があったのではないだろうか。(すでにFAQが出ています。http://www.kokusaig.co.jp/WGJ/faq/index.cgi?no2=3


 あとは、ルールとリプレイのざっと見からの感想ですが、これを「初めてウォーゲームを遊ぼうと思った人」に薦められるような気がしない。いや、カードゲームやボードゲーム、それもカツカツ系のゲームから進んできた人はいいけれど、「日本史」という切り口からやってきた人には向いていないと思う。ゲームシステム把握と交渉との両方にそこそこの熟練が要求されるタイプのゲームになってしまっているので。 この辺、前号もそうだったけれど、編集部の意図とゲームの方向性とが合っていないように感じる。


 コラムで面白かったのが「ゲームで描かれる戦国時代像はどこから来たのか?」というGuevarista氏の記事。

結託して大名家の前に立ち塞がる有力国人達を苦心惨憺して打ち倒し、ようやく一国の覇権を手にしたら、同じく天下を伺う大大名達との戦いが待っているという、旧来的な戦国時代観に基づくゲーム展開は、実に良くできたドラマである。逆に「どこまでもリアルなゲーム」は現実と同じく身も蓋も無さを抱え込む。それが必ずしも面白さに結びつくわけではない以上、現実のどこをどう切り取ってくるかは製作サイドの判断次第だ。
 しかし、デザインの基礎となる"現実”そのものをどう捉えるかは歴史ゲームにとってやはり大きな課題だろう。例えば近隣の国人領主が倒すものでなく誘うもの、配下でなく朋輩であることを前提に、大義名分の限りを尽くして呼びかけ、毎回動員できる兵力が変わるようなゲームがあっても、悪くないのではないか。(p.18)

 現在ゲームデザイン界で主流の戦国観は、1970年代以前の歴史観によるもので、それは確かにゲーム展開に都合の良いものであった。ただし、最新の研究成果をきちんと知っておくことは大事だ、ということなのだろう。


 実際、戦国の「合戦の様子」については研究の成果がゲームに取り入れられている。戦略級だって、そうした方が良い(少なくとも悪くはない)のは事実だと思う。特に、現在の主流デザイナー(30代、40代)が最初に学んだ頃の学説を無批判に引きずっているのではないかという指摘は、傾聴に値すると思う。
 コラム中では、「天下統一」の最新版(PS2PSP版)をとりあげ、国人の扱いが変わっているとも指摘している。ここでもアナログゲーム側が、コンピュータゲームの後塵を拝することになるのかもしれない。


 次号は、2人用の関ヶ原だそうです。