k-takahashi's blog

個人雑記用

エンタメ創造記 黒川塾総集編 壱

黒川塾でのトークイベントを本にまとめたもの。「壱」では、「アナグラのうた」「プレイステーション」「ガンホー」の3つが掲載されている。
目当ては二つ目の「プレイステーション」の部分。丸山茂雄氏、赤川良二氏、藤澤孝史氏の3氏を招いてのトークセッション。
以下は、自分用のメモとして。

丸山 ソニーじゃなくてフィリップスだってなったときは、『何をアマい交渉してるんだよ』って思った。僕らソフト作っている人間は被害者ですよ。噴飯もの。
赤川 で、当時の取締役を怒鳴りつけたという
丸山 そう! その時に交渉やっていた出井(伸之)さんをね。彼はまだ当時ヒラの取締役で、僕はEPICでブイブイいわしてたから怖い物なしだった。だから、電話口で「ばかやろ! なにやってんだ!」って…… ま、そのあと彼が社長に就任した時はなんというか、青ざめたよね
(No. 728)

任天堂の「裏切り」を聞いたときの丸山氏の反応について。

丸山 当時のセガの社長の中山隼雄さんなんか特に言ってくれましたね。おやめなさい、って本当に懇切丁寧に。中村さん(引用者注:中山さん、の誤植?)はとてもアクの強い方だったから、親切で言ってるのか、馬鹿にして言ってるのかわからなかったけど、基本的にはやめろということを強く言われました。
(No.783)

珍しい、セガとSCEの交渉についての記載。微妙に引っかかる言い方してるような気も。

赤川 岡本さんいわく「これはダメだ、3Dゲーム機の看板下ろして2Dのチップ乗っけて従来と同じようなゲーム機として路線変更しよう」というところまでいってたらしいです。
(No.818)

どうにもサードパーティの反応が悪くて困っていたころの話。それがバーチャファイターの発売で次のような感じになる。

赤川 『バーチャファイター』がなかったらあの時、路線変更を受け入れざるを得なかったのだから、PSはいまとは違うマシンになっていたんです。
(No.828)

というのは、とうのSCEからし

丸山 3D映像のすばらしさをツバとばしながら言ってるのは社内では久夛良木さんだけだった。すごいのはわかったけど、実際何ができるのかって説明されても全然わからなくて、しょうがないからわかったふりして各社にプレゼンして回ってたんです。
(No.828)

「分からなくて」というのは誇張だとしても、説明するのは大変だったことが分かる。


PSの勝因は何かという質問に対して

赤川 一般的にはFFが来たからです。それは坂口博信さんがなんて答えたかっていうと「だって俺作りたかったんだもん」っていうことだったんじゃないかな。FFという影響力を持つソフトのクリエイターが、PSで作りたいと思わせたというのが大きい。
(No.1185)

あとは、当時散々言われていた優遇策については、

黒川 もしかしたらマージン払って、ファーストパーティとして優遇したのかもしれないけど。
赤川 ……そういった事実はね、ないんですよ。
黒川 ただの噂でしたか。この場で改めて否定しておきます。
(No.1195)

と明確に。しかし、黒川氏が当時セガにいたことを考えると、当時セガ社内でもこの噂を本気にしていた人が多かったということでもあるのだろう。(最も積極的にこの話を広めていた一人が、当時セガとどっぷりだった飯野賢治だったけど、セガ社内も同様だった、と。)