k-takahashi's blog

個人雑記用

なぜアジはフライでとんかつはカツか?

 

調理法は同じなのに、アジはフライで豚(や鶏や牛)はカツなのはなぜ?という話。

アジフライやトンカツが外国語の一単語なら話は早いのだが、フライもカツ(レツ)も英語であり、しかもアジフライだのトンカツだのといった単語は当然ながら英語にはない。

 

まず、日本におけるトンカツの歴史についての事実確認。俗説にいう「煉瓦亭の二代目店主がフランス料理コートレットからポークカツレツを産み出した」というのが間違いであることを資料を用いて論証する。この俗説が後半で紹介する分析結果とは全然異なるので、露払い的な位置づけになる。実際、当時の資料を詳しく調べると煉瓦亭がカツレツを作ったというような話は出てこないのである。

 

では、実際のところはどうだったのか?

まずカツレツ(英語)は元々なんだったのかというと、これはイギリスのcutletという「かたち」の一枚肉のこと。牛も鶏も羊もこの形ならcutlet。この形にするための専用の道具もあった(cutlet-cutter)。そして英語ではこの形の肉を使ってパン粉を付けて揚げる料理の名前が「pork cutlet」。
これが日本ではかたちの意味を失い単なる一枚肉という意味になってしまう(なので、叩いて薄く大きくして形が変わったものもカツレツとなる)。そして、その一枚肉のパン粉揚げという調理方法まで含んだ意味になっていく。これが今に繋がるカツレツ。日本では調理法が異なる料理が同じ名前を持つことがないことからの変化だった。

 

揚げる料理はfryだが、実は英語では炒めるのも油で焼くのも油で揚げるのも全部fry。少量の油で焼くのはソテーと言うがこれはもともとフランス語。アジフライの調理法自体は明治初期の料理書に紹介されており、これがパン粉を付けて油で揚げる方法だが、上述と同じ理由により焼く・炒めるの部分が日本では使わなくなったので、アジにパン粉を付けてあげる料理がアジフライになった。

 

(この命名法の違いによる混乱はあちこちにあって、メンチカツだのクリームコロッケだのヒレカツだのも違いを説明するために作られた和製英語だったりする)

 

などということで、実はフレンチ系ではなくイギリス系。それもレストランではなく家庭料理系だということが分かる。フレンチレストランが作ったという話を冒頭部分で否定しているのはこの辺の説明と関連する。

 

では、なぜ評価の高いフランス系ではなく、評価の低いイギリス系なのか。

 

一つは別にイギリス系の評価は低くなかったということ。以前読んだ本でも英米料理は別に低く評価されていたりはしなかったので、実際そうだったのだろう。

一つは明治期に日本に来た外国人にはイギリス人が多かったこと。そして彼らは使用人(コック)を雇い、彼らにイギリス流の料理を作らせた。これでイギリス家庭料理が伝わるようになった。

一つはフランス料理の秘密主義。帝国ホテルの村上シェフの本にも当初まともに調理法を教えて貰えなかったという記載があるが、明治期はもっと酷かったようだ。秘密主義・排他主義に閉じこもったフレンチと、レシピ本の提供と教育に努めたイギリス料理とでどっちが普及するかといったら、そりゃ後者だろう。

 

ならば当時のイギリス料理は現在どこにいったのか?

これは「滅びた」ということになる。生き残っているのはローストビーフぐらい。手間がかかりすぎる(だから来日したイギリス人がコックを雇って彼らを教育して調理を担当させたのだ。大変だったから)ので雇い人を使って作らせていたが、20世紀になって執事やメイドを雇えない中流階級が増えたのでそういう料理もなくなった。(日本は日本流にアレンジしたこともあり生き残った。例えばパン粉はイギリスでは作るもの(面倒)だったが、日本では買ってくるもの)

 

といったことを解説している一冊。当時の資料や記録を色々チェックしていくところが面白い。売り込むための工夫が悪いわけではないが、色々と混乱のもとになってきたというのも分かる。

とんかつ好きの方は是非どうぞ。